2007-12-01から1ヶ月間の記事一覧

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(55)

労働力の購入とは俗に言えば労働者の雇用にほかなりません。この労使関係を商品売買(「労働力」という商品の売買)関係とみることには疑義を呈するむきもありえましょう。 資本家と労働者とを一種の共同事業者のように考えて、資本家は資金を出資し労働者は…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(54)

産業資本家に目を向けてみましょう。議論の骨格が見え易くなるよう、今からようやく資本家になろうとしている”資本家の卵”氏に登場願うことにします。 氏は、手持ちの資金で工場を建て、機械設備類を整え、原材料を購入します。氏は、また、労働者を雇用しま…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(53)

流通過程は、それ自体では、社会的にみるとき、価値を増大させません。なるほど、個々人は流通過程で富を増加させることがあります。例えば、商人が資金で物品を購入し、その物品を販売して元金以上の貨幣額を回収するような場合、その商人個人は流通過程で”…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(52)

貨幣とはそもそも何であるのかについては、いろいろな学説があります。が、マルクスは商品貨幣説(貨幣とは格別な機能を担う一種の商品であるとする説)の立場を採ります。「貨幣」といえば、人々の日常意識においては、価値尺度機能・流通手段機能・蓄蔵手…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(51)

第二節 賃労働者を搾取する機構の暴露 資本制生産は「資本」によって営まれる生産であると言われます。一応はそう言ってよいでしょう。ところで、「資本」の何たるかですが、マルクス自身の考えでは、資本とは資金とか生産設備とかいった物象(もの)ではな…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(50)

「抽象的人間労働」なるものやその「量」が、事前に判っているわけではなく、「事後的に還元・換算」されてはじめて明示的に指定されうるものであるにしても、交換的等置の落ちつく線、「価値」の大きさといったことが、投下労働の配分の在り方によって規定…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(49)

マルクス本人に語らせましょう。「例えば−−と『資本論』でも有名な価値形態論の個所で明言されております−−上衣が価値物としてリンネルに等置されることによって、上衣に潜んでいる労働がリンネルに潜んでいる労働に等置される。この等置が、裁縫労働を、織…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(48)

「人々は、彼らの異種の生産物どうしを交換において等価とすることで、彼らのさまざまな労働どうしを人間労働〔抽象的人間労働〕として等置するのである」。価値の”実体”をなす対象化された「抽象的人間労働」の量なるものは、直接に知ることはできません。…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(47)

マルクスが抽象的人間労働というさいの抽象化は、単なる概念的抽象化ではなく、例えば「二日分の農業労働が一日分の裁縫労働に等しいとして還元・換算」されるといった仕方での「単純労働」の措定と関係します。マルクスは、単なる理論的抽象ではなく「日々…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(46)

マルクスは、商品が労働生産物であるということに留目して、商品に共通なあの価値の何たるかを析出してみせようとしているわけですが、一口に「労働」といっても「労働の二重性格」が区別されねばなりません。「商品の二要因」たる「使用価値」と「価値」と…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(45)

「価値」という諸商品に「共通なもの」は「商品の幾何学的、物理学的、化学的、その他の、自然的属性ではありうべくもない」。というのも、「商品の物体的諸属性は、商品を使用価値たらしめるかぎりでしか視野に入らない」。ところが、商品の交換関係は、使…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(44)

さて、使用価値、つまり、各商品がもっている有用性、言い換えると、人間の具体的な一定欲望を充足させる性質は、文化的に規定されますから、天然自然の性質というわけではありません。がしかし、価値との対比においては、一種の自然的な性質として扱うこと…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(43)

さて、いよいよ『資本論』ですが、ここでは、資本家と労働者との関係が「労働力」という商品の売買関係として現象する事態の分析に必要な限りで、「商品」なるものの概念規定的分析の一端祖述し、物象化された経済構造を分析するための視座を確立しておきま…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(42)

マルクスの場合、物象化という概念と「神秘化」という概念や、「物神性(呪物性)」という概念とが深い関係にあります。マルクスがフェティッシュ(物神的=呪物的)と言うのは、自然物がまるで”超自然的な性質・性能・能力を具えているかのように現われる”…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(41)

今問題の物象化現象は、観察的第三者にとってだけ現出する事態なのではなく、当事者たち自身にとっても日常的に現出する事態です。人と人との関係が、人と人との関係とはおよそ異貌の、物象的実体・性質・関係の相で見えてしまうこの事態(一例をあげれば、…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(40)

『資本論』の内容に入る前に、物象化論ということについて一言しておいたほうが、後の話がわかりやすくなるかもしれません。 物象化論は後期マルクスにおける枢要な概念装置で、文典中における用語法に鑑みますと、人と人との社会的関係が、日常的意識におい…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(39)

マルクスが『資本論』において開示したかった重要な意想(モチーフ)の一つは、こういう”近代的市民社会像”のイデオローギッシュな自己欺瞞性を、資本制社会の構造を分析してみせることで完膚なきまでに暴露することにありました。それも、単に暴露・告発す…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(38)

では、この賃金労働者、および、それと相補的にまた、資本家は、”市民社会”像においてはどのように位置づけられ、どのように処理されるのでしょうか? 賃金労働者といえども、労働力商品という一種の商品を所持していて(おそらくこの商品は、自営業者の場合…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(37)

第二章 『資本論』で言いたかったこと 第一節 物象化された経済の構造的分析 近代市民社会における人間関係は、古代奴隷制社会や中世封建制社会の場合と違って、自由(自律的)で平等(対等的)な諸個人の、友愛的とまでは言いかねるにしても、互酬的な(互…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(36)

晩年にかけて、マルクスもエンゲルスも、当時ようやく知られるようになってきた史実、とりわけ古代社会に関する知見を踏まえて、人類史像を再構築しようと努力しました。とは申せ、それが十分に果たされるところまでは行きませんでした。(私どもとしては、…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(35)

マルクスの歴史観というとき、「従来の歴史は階級闘争の歴史であった」という『共産党宣言』の有名な一句を誰しも思い出すことでしょう。 マルクス・エンゲルスの史観は、「階級闘争史観」だという受け取り方がひろく定着しております。しかし、人類史は階級…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(34)

「こうして−−とエンゲルスは続けます−−歴史的に行為している人間の動因力の背後にあって、真の、究極的な歴史の起動力をなしているところの動力を探求することこそが問題であるとすれば、……個々人の動因ではなく、大衆を、全諸国民を、一国民中における全階…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(33)

実を言えば、この問題は、近代における歴史観・歴史学の難題でもあったのです。この難題に答えようとする試みとして、「英雄史観」や「理性の狡智論」や階級闘争史観など、いろいろな史観が提唱されました。が、ここでは直截に、まずエンゲルスの解答を見て…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(32)

「社会の歴史においては〔自然の歴史とは異なって〕、行為者はことごとく意識をそなえ、熟慮や情熱をもって一定の目的をめざして行動する人間である。意識された意図、意欲された目標なくしては何ごとも生起しない。……人間各人が、自分の、意識をともなって…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(31)

マルクス・エンゲルスの歴史観が優れてエコロジカルであることは、次の一文によっていよいよ確認できることと思います。 「歴史においては、どの段階にあっても、或る物質的な成果、生産諸力の一総体、歴史的に創造された対自然ならびに諸個人相互間の関係が…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(30)

「メソポタミア・ギリシャ、小アジアその他の国々で」耕地を得ようとして森林を開拓した人々は、「今日の荒廃」をもたらすことは夢想だにしなかったし、「アルプス地方のイタリア人たちは、南側の山腹で森林を伐りつくしたとき、それによってアルプス牧牛業…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(29)

人間の生産活動という実践的な関わりによる自然の変化ということを論じるとき、エンゲルスはまさに生態系の変化を問題にします。彼は、遺稿『自然弁証法』に属する「猿から人間への進化における労働の役割」のなかで、次のように書いております。 「動物は自…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(28)

エコロジカルな方面がどのように勘案されているかを示すために、エンゲルスの或る文典から一端を引用しておきましょう。 「自然科学も哲学も、人間の活動が思考に及ぼす影響を従前まったく無視してきた。両者はもっぱら、一方での自然と、他方での思想を知る…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(27)

「人間史全般の第一の前提はいうまでもなく、生身の人間諸個人の生存である。第一に確定さるべき構成要件は、それゆえ、これら諸個人の身体組織ならびにそれによって与えられるところの、彼らと爾余の自然との関係である。われわれは、ここではもちろん人間…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(26)

読者は、マルクス・エンゲルスが歴史観において自然と人間との相互制約、人間と自然との統一性に「生産」の場に即して留目するさい、その「自然」なるものが、エコロジカル(生態学的)であることを先刻来予期しておられることでしょう。 実際そうなのです。…