廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(34)

「こうして−−とエンゲルスは続けます−−歴史的に行為している人間の動因力の背後にあって、真の、究極的な歴史の起動力をなしているところの動力を探求することこそが問題であるとすれば、……個々人の動因ではなく、大衆を、全諸国民を、一国民中における全階級を、動かすところの動因が問題である。しかも、この動因たるや、……持続的な、偉大な歴史的変化を貫徹するものでなければならない。……この起動因を究明すること、これこそ、全体としての歴史はもとより、個々の時代や個々の国の歴史を支配している法則を研究するに当たっても、われわれを導きうる唯一の途である」(『フォイエルバッハ論』)。
 ここに謂う、「起動因」が、唯物史観においては、「歴史の汽罐室」を蔵する経済的下部構造に求められることは先刻ご承知の通りです。