2006-12-01から1ヶ月間の記事一覧

「自然の弁証法」(19)

〔98〕序論 つづき ヒトの発生も、分化のおかげである。すなわち、個体として分化し、ただ1個の卵細胞から自然が生んだ最も複雑な生物にまで分化していくというだけではない、−−そればかりか、歴史的にも分化するのである。何千年もの長い苦闘のすえに足…

「自然の弁証法」(18)

〔98〕序論 つづき 宇宙史の2 人間という種の誕生 惑星がその表面上に固い外殻と水の蓄積とをもつようになる時期は、その固有熱が中心天体からそれに送られてくる熱にたいしてますます影がうすくなりだす、そういう時期に当たっている。惑星の大気圏は、…

「自然の弁証法」(17)

〔98〕序論 つづき 神学から解き放たれて、自然研究が発展してきた状況を概観した後、ここから、この自然研究の成果にもとづく、壮大な宇宙の全歴史が語られる。 旋回し灼熱しているもやの塊から、その収縮と冷却とをつうじて、銀河のいちばん外側の恒星環…

「自然の弁証法」(16)

〔98〕序論 つづき 生物学的研究の領域でも、とりわけ18世紀のなかばから系統的に行なわれるようになった学術的な旅行と探検、古生物学と解剖学と生理学一般との進歩、そうしたすべてによって大量の材料が収集されたので、比較の方法の適用が可能となり…

「自然の弁証法」(15)

〔98〕序論 つづき 物理学は力づよい進歩をとげていて、その成果は、自然研究のこの部門にとって画期的な年である1842年に3人の別べつの男たちがほとんど同時にいっしょに手にしたのである。ハイルブロンのマイヤーとマンチェスターのジュールとは、…

「自然の弁証法」(14)

〔98〕序論 つづき 科学はまだ神学のなかに深く埋まっていた。いたるところで科学は、自然そのものをもとにしては説明できない外部からの一撃を究極的なものとして探し、そして、見つけるのである。コペルニクスがこの時期のはじめに神学に絶縁状を書きお…

「自然の弁証法」(13)

〔98〕序論 つづき 自然研究も、当時は全般的な革命のまっただなかを動いており、それ自身どこまでも革命的であった。自然研究が自分の独立を宣言し、ルターによる破門状の焼却をくりかえしてみせたとも言える革命的行為は、あの不朽の著作の出版(コペル…

「自然の弁証法」(12)

エンゲルスは「自然の弁証法」で人類の、否、全宇宙の壮大な歴史と発展とを科学的に描こうとしたと思われる。 〔99 サルがヒトになることに労働はどう関与したか〕につづいて、その前に書かれた〔98 序論〕がそれを示している。 〔98〕序論 近世の自然…

「自然の弁証法」(11)

〔99〕サルがヒトになることに労働はどう関与したか つづき ブルジョアジーの社会科学、すなわち、古典派政治経済学は、おもに、生産と交換とに向けられた人間の行為の社会的諸影響のうち、じかにそれと意図して生みだされたぶんだけを取り扱った。一人ひ…

「自然の弁証法」(10)

〔99〕サルがヒトになることに労働はどう関与したか つづき 生産に向けられたわれわれの行為のかなりあとに現われる自然的影響でさえ、これを見つもることをいくらか習いおぼえるまでに数千年の労働を必要としたのに、こうした行為からかなりあとになって…

「自然の弁証法」(9)

〔99〕サルがヒトになることに労働はどう関与したか つづき われわれは、しかし、われわれ人間が自然にたいしてかちえた勝利にあまり得意になりすぎないようにしよう。そうした勝利のたびごとに、自然はわれわれに復讐するのである。なるほど、どの勝利も…

「自然の弁証法」(8)

〔99〕サルがヒトになることに労働はどう関与したか つづき 動物たちもまた、人間ほどではないにしても、やはりその活動によって外部を自然を変化させる。そして、そうした活動によって引きおこされたかれらの環境のこうした変化は、こんどはそうした変化…

「自然の弁証法」(7)

〔99〕サルがヒトになることに労働はどう関与したか つづき 手と言語諸器官と脳との協働によって、人間はますます複雑になった作業を遂行し、ますます高度な目標を設定してこれを達成する、という能力をかちえていった。労働そのものが、世代から世代へ、…

「自然の弁証法」(6)

〔99〕サルがヒトになることに労働はどう関与したか つづき 肉食から、決定的に重要な意義をもった新しい進歩が二つ生まれた。火を利用することと、動物たちを飼い馴らすことである。前者は、口に入れる食物をあらかじめいわば半分消化しておくことによっ…

「自然の弁証法」(5)

〔99〕サルがヒトになることに労働はどう関与したか つづき 木のぼりをするサルの群れからヒトの社会が生まれてくるまでには、たしかに数十万年が経過した。しかし、それはついに誕生した。そして、サルの群れとヒトの社会とを分けるきわだった区別として…

「自然の弁証法」(4)

〔99〕サルがヒトになることに労働はどう関与したか つづき いちばんはじめに労働、その後に、そしてこんどは労働とともに、言語−−この二つが本質的に最も重要な推進力となって、その影響のもとにサルの脳は、サルのものと瓜二つではあってもそれよりはず…

「自然の弁証法」(3)

〔99〕サルがヒトになることに労働はどう関与したか つづき われわれの祖先たちは、サルからヒトへ移行する数千年間に、徐々に自分たちの手をさまざまな作業に適応させることを習得していった。決定的に重要な一歩は、手が自由になっていた(こと)である。…

「自然の弁証法」(2)

新メガ版「自然の弁証法」 〔99〕サルがヒトになることに労働はどう関与したか 労働者の圧服 フリードリヒ・エンゲルスによる 序論 自然が労働に材料を提供し、これを労働が富に変える。しかし、労働はなお限りなくそれ以上のものである。労働は、人間生活…

「自然の弁証法」(1)

エンゲルス「自然の弁証法」を新メガ版で読む。 この著作の本来の中心的論文は、〔2〕自然科学の弁証法、〔63〕弁証法的思考の必要性、〔158〕自然弁証法の好例、〔163〕『[反]デューリング論』の旧序文、弁証法について、〔165〕弁証法、〔19…

「自然の弁証法」(0)

新メガ版 自然の弁証法作者: フリードリヒエンゲルス,Friedrich Engels,秋間実,渋谷一夫出版社/メーカー: 新日本出版社発売日: 1999/10/01メディア: 単行本 クリック: 7回この商品を含むブログ (1件) を見る 「自然の弁証法」はエンゲルスが1873年から1…

「経済学批判」(85)

C 流通手段と貨幣についての諸学説 ラスト ヒュームの理論、つまり重金主義にたいする抽象的対立が、こうしてゆきつくところまで発展されたあと、結局また、ステュアートのしたような貨幣の具体的把握が、トマス・トゥックによってその正しい位置にもどされ…

「経済学批判」(84)

C 流通手段と貨幣についての諸学説 つづき 19世紀中の商業恐慌、ことに1825年と1836年の大恐慌は、リカアドの貨幣理論をすこしも発展させはしなかったが、しかしそれを新しく適用する機会をあたえた。これらの恐慌は、もはや、ヒュームのばあいに…

「経済学批判」(83)

C 流通手段と貨幣についての諸学説 つづき リカアドと同時代のひとびとでかれの経済学の諸原理を支持する学派をつくったもののうち、もっとも重要な人物は、ジェイムズ・ミルである。かれは、リカアドがその見解の貧弱さをかくすおおいとして不適当な用いか…

「経済学批判」(82)

C 流通手段と貨幣についての諸学説 つづき リカアドは、ナポレオンの大陸封鎖とイギリスの封鎖令の時代に、こう主張した。イギリス人が、商品のかわりに金を大陸へ輸出したのは、イギリスの貨幣が大陸諸国の貨幣にくらべて減価しており、したがってイギリス…

「経済学批判」(81)

C 流通手段と貨幣についての諸学説 つづき リカアドが、かれの抽象的理論の意味するところにしたがって、現実の諸現象をいかにむりやりに組みかえているかは、二三の例でしめされよう。たとえば、かれはつぎのように主張する、1800年から1820年まで…

「経済学批判」(80)

C 流通手段と貨幣についての諸学説 つづき リカアドの…第一の命題はこうであった。流通する金属貨幣の量が正常であるのは、それが、貨幣の金属価値で評価された流通諸商品の価格総額によって規定されているときである。これを国際的に表現すると、つぎのよ…

「経済学批判」(79)

C 流通手段と貨幣についての諸学説 つづき [リカアドのいうところを]要約すればこうである。商品の交換価値があたえられていれば、流通する貨幣が正常な水準にあるのは、その数量がそれ自身の金属価値によって規定されているばあいである。流通する貨幣が満…

「経済学批判」(78)

C 流通手段と貨幣についての諸学説 つづき リカアドは、まず金銀の価値を、ほかのすべての商品のそれと同じように、それらに対象化されている労働時間の量によって規定する。ほかのすべての商品の価値は、あたえられた価値をもつ商品としての金銀ではかられ…

「経済学批判」(77)

C 流通手段と貨幣についての諸学説 つづき 貨幣の本質にかんする研究は、19世紀には、金属流通の現象によってではなく、むしろ銀行券流通の現象によって、直接刺戟された。前者にまでさかのぼって研究されたのは、ただ後者の諸法則を発見するためにすぎな…

「経済学批判」(76)

C 流通手段と貨幣についての諸学説 つづき 自分自身の歴史をつねに忘れているということは、歴史法学派の意味での「歴史的」発展をした諸国民の特徴である。だから商品価格と流通手段の量との関係についての論争が、この半世紀のあいだひきつづきイギリス議…