2006-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「経済学・哲学草稿」(42)

[四] 「貨幣」 貨幣は、すべてのものを買うという属性をもち、すべての対象を我がものにするという属性をもっているから、したがって貨幣は優れた意味における対象である。貨幣の属性の普遍性は、それの本質が全能だということである。だから貨幣は全能な存…

「DEATH NOTE」

金子修介監督「DEATH NOTE」 一般に「前篇」と呼ばれている。観ている者に自らの存在を問わせる、優れた映画だ。 そのページに名前を書かれた者は死ぬ、というデスノートを、死神から手に入れた学生、夜神月(ライト、藤原竜也)が、許されない犯罪…

「経済学・哲学草稿」(41)

分業に関する国民経済学者の説明のまとめ その2 セイ 交換を偶然的であって基本的でないものとみなす。社会は交換がなくても存続することができたであろう、とする。[だが]交換は進歩した社会において不可欠なものとなる。にもかかわらず、生産は交換がなけ…

「経済学・哲学草稿」(40)

分業に関する国民経済学者の説明のまとめ。 アダム・スミス 分業は労働に無限の生産能力を与える。分業は、交換および売買への性向を、おそらく偶然的なものでなく理性や言語の使用によって条件づけられている人間特有の性向を、その基礎にもつ。交換をおこ…

「経済学・哲学草稿」(39)

J.B.セイはいう。分業とは、人間の諸力を巧妙に使用することである。したがって分業は、社会の諸生産物、社会の諸々の力と享受を増加させる。けれどもそれは、個人的にみれば各人の能力を奪い、減退させる。生産は交換がなければおこなわれえない。 スカ…

「初恋」

塙幸成監督「初恋」。三億円事件はエピソードの一つと見たい。好ましい映画である。 1968年の三億円事件。この事件を背景として、一つの純愛物語が語られる。切なくも甘い、60年代後半というもっとも熱い時代の、イイ話である。 三億円事件の犯人は「…

「経済学・哲学草稿」(38)

分業は、疎外の内部での労働の社会性についての国民経済学的な表現である。いいかえれば、労働とは外化の内部での人間的活動の一表現、生命外化としての生命発現の一表現にすぎないのであるから、分業もまた、実在的な類的活動としての、あるいは類的存在で…

「経済学・哲学草稿」(37)

私有財産の思想を止揚するためには、考えられた共産主義でまったくこと足りる。現実的な私有財産を止揚するためには、現実的な共産主義的行動を欠くことができない。歴史はそれをもたらすであろうし、自己自身を使用しつつあるものとしてわれわれがすでき思…

「経済学・哲学草稿」(36)

[三] 「欲求、生産、分業」 私有財産のもとでは、どの人間も、他人に新しい犠牲を強制するために、また他人を新しい従属におとしいれて彼を享楽の新しい様式へ、だからまた経済的破滅の新しい様式へと誘いこむために、他人に新しい欲求をよびおこそうと投機…

「空想より科学へ」(22)

三、プロレタリア革命。矛盾の解決、すなわち、プロレタリアートは公共的権力を掌握し、この権力によってブルジョアジーの手からはなれ落ちつつある社会的生産手段を公共所有物に転化する。この行動によって、プロレタリアートは、これまで生産手段がもって…

「空想より科学へ」(21)

二、資本主義的革命。まず単純協業とマニュファクチャーによる工業の変革。従来分散していた生産手段の大工場への集中、これにより、個々人の生産手段が社会的生産手段に転化される−−しかし、この転化は大体において交換の形態に影響しない。旧来の取得形態…

「空想より科学へ」(20)

エンゲルス「空想より科学へ」 三 [資本主義の発展]のラスト ここで、おさらいとして、資本主義の発展、資本主義的生産方法と取得とのあいだの矛盾、の必然的結果として、プロレタリア革命が語られる。 われわれは結論として、われわれの述べてきた歴史的発…

「空想より科学へ」(19)

社会による生産手段の没収とともに、商品生産は除去され、したがって生産者に対する生産物の支配も除去される。社会的生産の内部における無政府状態にかわって計画的意識的な組織があらわれる。個人の生存競争は消滅する。かくしてはじめて人間は、ある意味…

「空想より科学へ」(18)

一切の生産手段を社会が没収するということは、資本主義的生産方法が歴史上にあらわれて以来、個人により、また学派によって未来の理想として夢想されたことであった。だが、その実現のための実際の条件が存在しなければ、それは可能となり、また歴史的必然…

「空想より科学へ」(17)

資本主義的生産方法は人口の大多数をますますプロレタリアに転化する。彼らは、みずから没落を免れるためには、どうしてもこの方法の変革を成就せざるをえない力である。また、この生産方法はすでに社会化された厖大な生産手段をだんだん国有化させるが、そ…

「空想より科学へ」(16)

社会的に作用している力の作用は自然力と少しも変わらない、われわれがそれを認識し、それを考えにいれぬ限り、それは盲目的で、暴力的で、破壊的である。だが、ひとたびわれわれがそれを認識し、その活動、その方向、その効果を把握すれば、これをだんだん…

「空想より科学へ」(15)

恐慌は、ブルジョアジーには、近代的生産力をこれ以上管理する力がないことを暴露した。同様に、大規模な生産や交通機関が株式会社やトラストや国有に転化することは、これらの目的のために、ブルジョアジーが不用であることを示すものといってよい。 しかし…

「嫌われ松子の一生」

中島哲也監督作品「嫌われ松子の一生」 ちょっとヤバイ。 松子の悲劇は、つまらない一生を送ったことではなく、周りから好かれているのに、家族から嫌われていると思い込んだことだ。こういうことって、あることだ、と思う。 何もかもうまくいかないこと、仕…

「空想より科学へ」(14)

大工業の異常な膨張力は、われわれの眼前に、いかなる障碍もものともしない質的および量的膨張欲として現われている。その障碍をなすものといえば、消費であり、販路、すなわち大工業の生産物の市場である。市場の拡大は生産の拡大と歩調が合わない。衝突は…

「空想より科学へ」(13)

資本主義的生産方法は、そもそもの起源に内包しているこの矛盾(社会的生産と資本主義的取得との矛盾=秀註)を、二つの現象形態にあらわしながらすすみ、フーリエの発見したかの「悪循環」を描き、そこからのがれ出ることができない。この循環は、惑星のよ…

「空想より科学へ」(12)

商品生産を基礎とする社会の特色といえば、生産者が彼自身の社会的関係に対する支配力を失うということであった。何人も、彼の生産物に現実の需要があるか、生産費が回収できるか、そもそもそれが売れるかどうか、それさえも知らない。だから、そこにあるも…

「空想より科学へ」(11)

資本主義的生産においては、大作業場やマニュファクチャーにおける生産手段の集中、それの事実上の社会的生産手段への転化が出現した。この社会的な生産手段と生産物は、これまでのように、個人のものであるかのように取扱われた。従来、労働手段の所有者が…

「空想より科学へ」(10)

生産力と生産方法の衝突はなぜ起こるのか。 資本主義的生産の前、すなわち、中世では、労働者が彼の生産手段を私有するという基礎の上に立つ小経営が一般に行なわれていた。それは、自由農民もしくは隷農による小農の農業、都市の手工業であった。こんなばら…

「空想より科学へ」(9)

三 資本主義の発展 唯物史観の最初の命題:生産、それについでその生産物の交換が一切の社会制度の基礎である。また、歴史にあらわれるどの社会でも、生産物の分配、さらにまた、階級あるいは身分というような社会的編制は、何がいかに生産されるか、その生…

「空想より科学へ」(8)

唯物史観によって、社会主義は、一人の天才の頭脳が偶然発見したものではなくなった。それは歴史的に成立した二階級、すなわちプロレタリアートとブルジョアジーとの闘争の必然の産物であった。唯物史観の任務は、もはやできるだけ完全な社会制度を考案する…

「空想より科学へ」(7)

プロレタリアートとブルジョアジーの階級闘争という新しい事実は従来の一切の歴史を新たに研究しなおす必要を感ぜしめた。その結果、従来の一切の歴史は、原始時代を除けば、階級闘争の歴史であったことがあきらかになった。そしてこの闘争しあう社会階級は…

「空想より科学へ」(6)

近代唯物論は従来の一切の歴史を、ただ革命的に、単純に排斥はしないで、歴史において、人類の発展過程を見、この過程のうちに運動法則を発見することを自己の任務とするのであった。近代唯物論は、自然科学の最近の進歩を総括して、自然もまた時間の中にそ…

「空想より科学へ」(5)

二 弁証法的唯物論 弁証法は事物とその概念たる模写を、もっぱら、関連、連鎖、運動、発生及び消滅においてとらえる。全世界も、その発展も、また人類の発展も、さらにそれらについて人間の頭脳が描く映像も、その正確な叙述はただ、弁証法的方法よって、そ…

「空想より科学へ」(4)

ロバート・オーウェンは、唯物論に立つ啓蒙主義者の学説を信奉し、1800年から1829年にわたって、スコットランドのニュー・ラナークの大紡績工場で、業務監督として経営にあたり、自由に活動して好成績をあげた。富は労働者階級が作りだしたものとい…

「空想より科学へ」(3)

サン・シモンが、フランス革命を階級闘争と把握し、それも単に貴族とブルジョア階級とのそれにとどまらず、貴族、ブルジョア階級と無産者との間の階級闘争として把握したこと、しかも1802年に早くもそういう把握をしたことはきわめて天才的な発見であっ…