廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(41)

 今問題の物象化現象は、観察的第三者にとってだけ現出する事態なのではなく、当事者たち自身にとっても日常的に現出する事態です。人と人との関係が、人と人との関係とはおよそ異貌の、物象的実体・性質・関係の相で見えてしまうこの事態(一例をあげれば、貨幣という実体(もの)が自己完結的に存在し、それが価値という性質をそなえ、それ自身で購買力・通用力をもち、他の商品と関係し合うというように意識される事態)は、学理的反省の見地からみれば慥かに錯視・錯覚なのですが、しかし、決して偶然的・恣意的な妄想的幻覚といったものではありません。それは、一定条件のもとではしかるべくして生ずる錯視なのであり、人々の日常意識が必然的に陥る錯認であると言っても過言ではないほどです。
 このさい、仮視・錯視というのはあくまで学理的見地から言ってのことであって、当事者にとっては直截に”物象の相で存在する”と言えます。”物象の相で存在する”というのは、単なる認知的事態ではなく、当事者にとっては、彼の感情や意志はおろか、行動の在り方をも規制するごとき相で”存在”することを意味します。