廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(38)

 では、この賃金労働者、および、それと相補的にまた、資本家は、”市民社会”像においてはどのように位置づけられ、どのように処理されるのでしょうか?
 賃金労働者といえども、労働力商品という一種の商品を所持していて(おそらくこの商品は、自営業者の場合、その生産物が一般にそうであるように、家庭内で生産されるのでしょう)、それを資本家に売るのだという扱いにされます。要するに、労働者も一種の自営的な商品生産・所持・取引者としての”市民”ということにされるわけです。資本家も、それに応じて、さしあたり、労働力という他人の所持する商品の購入者という扱いになります。
 この扱いの限りでは、賃労働者といえども商品の生産販売者、資本家も労働力商品の購買・消費者にすぎないことになり、あの”市民社会”像に”うまく”納まります。