廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(51)

 第二節 賃労働者を搾取する機構の暴露


 資本制生産は「資本」によって営まれる生産であると言われます。一応はそう言ってよいでしょう。ところで、「資本」の何たるかですが、マルクス自身の考えでは、資本とは資金とか生産設備とかいった物象(もの)ではなく、一種独特の「生産関係」にほかなりません。「資本とは、物象ではなく、物象を介した人と人とのあいだの社会的関係である」(『資本論』、『直接的生産過程の諸結果』手稿469頁をも参照)、「資本は一つの社会的関係である」(『賃労働と資本』)とマルクスは明記しております。
 日常的意識においては、しかし、当の社会的関係が物象化されて、資本とは種々様々な物象の相で映現します。まず第一に、資本は事業資金(としての貨幣)の相で意識されるのが普通であろうかと思われます。そこで私どもとしても、事業資金、”自己増殖力をもつ貨幣”という相で物象化して意識されている”資本”を問題にするところから始めることにしましょう。