廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(32)

「社会の歴史においては〔自然の歴史とは異なって〕、行為者はことごとく意識をそなえ、熟慮や情熱をもって一定の目的をめざして行動する人間である。意識された意図、意欲された目標なくしては何ごとも生起しない。……人間各人が、自分の、意識をともなって意識した目的を追求することによって、人間が歴史をつくる」(『フォイエルバッハ論』)。
 ここに問題が生じます。人間各人が目的意識的に行為するのであれば、そしてその結果としていわゆる歴史の進展が現実化するのであれば、歴史には法則性がないということにならないであろうか?