廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(50)

「抽象的人間労働」なるものやその「量」が、事前に判っているわけではなく、「事後的に還元・換算」されてはじめて明示的に指定されうるものであるにしても、交換的等置の落ちつく線、「価値」の大きさといったことが、投下労働の配分の在り方によって規定されることが追認される以上、商品生産に必要な労働量(抽象的人間労働の量)を論じることが不可欠であることはご理解いただけることと念います。
資本論』は、その序文で言われている通り、「資本制生産様式、および、この生産様式に照応する、生産諸関係ならびに交通諸関係」を「探求」するものです。が、その探求は、商品経済的に、ひいては、資本制経済的に、物象化された事態の構造分析というかたちで進められます。以上で一瞥した商品論が、労働力商品にも妥当することを介して、「市民社会像」を批判していくうえでの理論上の一拠点になります。商品の物質性、そこにおける価値物象化の秘密を既に対自化したマルクスは、「資本の生産過程」を論ずるにあたっても、投下労働量を既知とする先取的措定に基く構成をひとまず採っております。