2007-06-01から1ヶ月間の記事一覧

「資本論初版 第1章」(76)

§1 b)両形式の対極性 つづき 亜麻布生産者のAと上着生産者のBとの間の物々交換を考えてみよう。AとBは、交換に同意する前に、Aは「20エレの亜麻布は2着の上着に値する(20エレの亜麻布=2着の上着)」と言い、それに対してBは、「1着の上着…

「資本論初版 第1章」(75)

§1 つづき ところで、これ以上深く分析しないでも、これまでの所から次の諸点は明らかである。 a) 両形式の不可分離性 価値の相対的な形式と等価物の形式とは、同一の価値表現の、互いに帰属し合い条件づけあう、切り離しえない〔二つの〕契機である。 b…

「資本論初版 第1章」(74)

Ⅰ 価値の単純な形式 20エレの亜麻布=1着の上着、あるいは 20エレの亜麻布は1着の上着に値する。 価値の全ての形式の秘密は価値のこの単純な形式の中に隠れているにちがいない。従って、この単純な形式を分析することは本当に困難なのである。 §1 価…

「資本論初版 第1章」(73)

第1巻第1章への付録 価値の形式 商品を分析した結果分かったことは、商品は使用価値及び価値であるという意味で二重のものだということであった。従って、事物が商品という形式を持つためには、それは、使用価値という形式と価値という形式との二重の形式…

「資本論初版 第1章」(72)

〔第6項 次章への移行〕 商品は使用価値と交換価値との直接的な統一であり、従って対立する二者の統一である。従って、それは直接的な矛盾である。〔従って〕商品をこれまでのように、ある時は使用価値の面から、またある時は交換価値の面からと分析的に考…

「資本論初版 第1章」(71)

これまで、真珠やダイヤの中から交換価値を見出した化学者は一人もいない。それなのに批判の深さを特に要求している我著者たちは、物の使用価値はその物としての性質に依存せず、それに反して、物の交換価値が物としての物に帰属することを発見するのである…

「資本論初版 第1章」(70)

〔第5項 国民経済学の呪物崇拝〕 つづき しかし、あまり先走らないようにしよう。ここでは商品形式自身についての例をもう一つ挙げておけば十分であろう。商品と商品の関係、例えば長靴と脱靴器との関係では、脱靴器の使用価値、つまりその現実的物的性質の…

「資本論初版 第1章」(69)

〔第5項 国民経済学の呪物崇拝〕 つづき 一部の経済学者たちが、商品世界にまつわりついている呪物崇拝にどれほど惑わされているか、または労働の社会的規定が対象的に〔客観的に〕持つ仮象にどれほど惑わされているかを知るには、とりわけ、交換価値の形成…

杜牧「過田家宅」

杜牧の五言絶句「田家の宅に過(よぎ)る」 過田家宅 安邑南門外 安邑(あんゆう) 南門の外 誰家板築高 誰(た)が家か板築(はんちく)高き 奉誠園裏地 奉誠(ほうせい)園裏(えんり)の地 牆欠見蓬蒿 牆(しょう)欠けて 蓬蒿(ほうこう)見ゆ 安邑坊〔…

杜牧「長安秋望」

杜牧の五言絶句「長安秋望」 長安秋望 楼倚霜樹外 楼は倚(よ)る 霜樹(そうじゅ)の外 鏡天無一毫 鏡天 一毫も無し 南山与秋色 南山と秋色と 気勢両相高 気勢 両(ふた)つながら相(あい)高し 高楼は霜枯れの木々に沿って立つ。 空は、鏡にように澄みわ…

「資本論初版 第1章」(68)

従って、彼らは、生産の社会的有機体の前ブルジョア的諸形式を扱う時には、言ってみればちょうど、教父たちがキリスト教以前の宗教を扱う時のように振る舞うのである(マルクス註 「経済学者たちは奇妙なやり方をする。彼らにとっては、人為的制度と自然な制…

「資本論初版 第1章」(67)

しかし、労働がなぜ価値として表されるのか、その持続時間によって測られた労働がなぜ価値の大きさとして表されるのかという問いは、発しなかった。人間が生産過程を支配しているのではなく、生産過程が人間を支配しているような社会構成体に属する形式は、…

「資本論初版 第1章」(66)

〔第5項 国民経済学の呪物崇拝〕 ところで、たしかに経済学は、たとえ不完全な形ででにせよ(マルクス註 価値についてのリカードの分析はこれまでで最良のものだが、その欠点については本書の第3巻と第4巻で述べるつもりである。ここでは価値一般について…

杜牧「漢江」

杜牧の七言絶句「漢江」。京城の漢江(はんがん)ではなく、武漢の漢江である。 漢江 溶溶漾漾白鴎飛 溶溶(ようよう)漾漾(ようよう)白□〔かもめ本字〕飛ぶ 緑浄春深好染衣 緑(みどり)浄く春深く 衣(ころも)を染むるに好し 南去北来人自老 南去北来 …

杜牧「念昔遊 三首 其三」

「念昔遊 三首」の其の三では、杜牧が尊敬する李白に思いを馳せる。 念昔遊 三首 其三 李白題詩水西寺 李白 詩を題す 水西寺 古木廻巌楼閣風 古木 廻巌(かいがん) 楼閣の風 半醒半酔游三日 半(なか)ば醒め 半ば酔いて 游(あそ)ぶこと三日 紅白花開山雨…

杜牧「念昔遊 三首 其一」

杜牧の七言絶句「念昔遊 三首」其の一 念昔遊 三首 其一 十載飄然縄検外 十載(じっさい) 飄然たり縄検(じょうけん)の外 蚘前自献自為酬 蚘前(そんぜん) 自ら献じ 自ら酬(しゅう)を為す 秋山春雨閑吟処 秋山 春雨 閑吟の処(ところ) 倚偏江南寺寺楼 …

杜牧「薔薇花」

杜牧の七言絶句「薔薇花(しょうびか)」 薔薇花 朶朶精神葉葉柔 朶朶(だだ) 精神にして 葉葉(ようよう) 柔かなり 雨晴香払酔人頭 雨晴れて香(こう)は払う 酔人の頭(かしら) 石家錦障依然在 石家(せっか)の錦障(きんしょう) 依然として在り 閑倚…

杜牧「山石榴」

杜牧の詩は七言絶句がいいと思う。「山石榴(さんせきりゅう)」 山石榴 似火山榴映小山 火に似たる山榴(さんりゅう)小山(しょうざん)に映じ 繁中能薄艶中閑 繁中に能(よ)く薄(むらが)り 艶中に閑なり 一朶佳人玉釵上 一朶(いちだ) 佳人(かじん)…

「資本論初版 第1章」(65)

〔生産関係と意識との関係をもう少しくわしく見るために、古代社会を考えてみると〕古代アジア的生産様式や古代〔ギリシャ・ローマ〕の生産様式などでは、生産物が商品に転化すること、従ってまた、人々が商品生産者として存在することは、従属的な役割しか…

「資本論初版 第1章」(64)

〔第4項 生産関係と意識〕 以上のような次第で、商品の持つ神秘的性格は、私的生産者たちの私的労働の社会的規定が労働生産物の自然的本性としての社会的な規定として現れることに由来し、生産における人々の社会的な関係が物と物との社会的な関係及び物と…

「資本論初版 第1章」(63)

〔第3項 商品交換される労働生産物〕 つづき ブルジョア経済学のカテゴリーはこのように、〔錯乱した〕形式を取っている。それは、社会的生産のこの歴史的に規定された様式の持つ生産諸関係を表すための社会的に通用している思考形式であり、客観的な思考形…

「資本論初版 第1章」(62)

ところで、更に価値の大きさについて触れておくと、互いに依存せずになされてはいるが、自然発生的分業の分肢であるが故に互いに全面的に依存し合っている私的労働は、絶えず、その社会的にみて必要な労働時間が統制的な自然法則として暴力的に貫徹されるか…

「資本論初版 第1章」(61)

〔第3項 商品交換される労働生産物〕 それでは、労働生産物が商品という形式を取るや否や謎に満ちた性格を持つのはどうしてなのだろうか。 生産物が人間労働という点で種を同じくする労働の単なる物的なおおいにすぎない限りで、人々はその生産物を価値とし…

「資本論初版 第1章」(60)

〔第2項 商品交換されない労働生産物、生産時間と価値〕 つづき それでは〔次に〕このロビンソンの代わりに、自由な人々の結合体を考えてみよう。彼等は共通の生産手段で労働し、多くの個人の労働力を意識的に単一の社会的労働力として支出するものとする。…

「資本論初版 第1章」(59)

〔第2項 商品交換されない労働生産物、生産時間と価値〕 つづき 〔以上の点を更に例をあげてくわしく考えてみよう。まず〕孤島で生活しているあのロビンソンを取り上げよう。彼が生来どんなに質素な生活をする人だとしても、やはり彼にもいろいろな欲求があ…

「資本論初版 第1章」(58)

〔第2項 商品交換されない労働生産物、生産時間と価値〕 従って、商品の神秘的性格はその使用価値から出てくるものではない。それはまた、それだけで独立して考察された価値の諸規定から出てくるものでもない。〔この点をくわしく考えてみよう。〕即ち、ま…

「資本論初版 第1章」(57)

〔第4節 商品の呪物的性格〕 〔第1項 使用価値としての労働生産物〕 商品は、一見した所では、自明で些細な物に見える。〔しかし〕その商品を分析した結果分かったことは、それは極めてこみいった物であり、形而上学的な屁理屈と神学的なしかめ面に満ちて…

「資本論初版 第1章」(56)

〔第4項 本節のまとめ〕 ご覧のとおり、商品の分析の結果、価値という形式が持っている全ての本質的な規定とその対立的な契機〔第Ⅰ形式〕が明らかにされ、価値の相対的な表現の一般的形式と一般的等価物の形式〔第Ⅲ形式〕が証明され、価値の単純な相対的表…

「資本論初版 第1章」(55)

〔商品の呪物性の進展〕 つづき これを表すと次の定式が得られる。 第Ⅳ形式 20エレの亜麻布=1着の上着、または=u量のコーヒー、または=v量の紅茶、または=x量の鉄、または=y量の小麦、または=…… 1着の上着=20エレの亜麻布、または=u量の…

「資本論初版 第1章」(54)

〔商品の呪物性の進展〕 つづき ところで我々がいま立っている時点では、その一般的等価物はまだ完全に一つの商品に固定されてはいない。〔どの商品が一般的等価物になってもよいことになっている。〕実際には、亜麻布はどのようにして一般的等価物になった…