廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(26)

 読者は、マルクス・エンゲルス歴史観において自然と人間との相互制約、人間と自然との統一性に「生産」の場に即して留目するさい、その「自然」なるものが、エコロジカル(生態学的)であることを先刻来予期しておられることでしょう。
 実際そうなのです。−−「生物とその環境との関係の学」と定義される生態学(エコロギー)なる言葉がヘッケルによってつくられたのはマルクスが『資本論』を出した頃のことでして、それはマルクス・エンゲルス歴史観が確立して以後のことです。したがって、固有の史観を確立した当時のマルクスはエコロギーという言葉など知るべくもありませんでした。マルクス・エンゲルス歴史観の視野に入れていた自然がエコロジカルであり、彼らの歴史観そのものが生態学的だということ、これは第三者的に見ての話です。だが、第三者的には確かにそう言えます。
(秀註:エンゲルス『自然の弁証法』、たとえば「〔99〕サルがヒトになることに労働はどう関与したか」に次のような記述がある。
 われわれは、しかし、われわれ人間が自然にたいしてかちえた勝利にあまり得意になりすぎないようにしよう。そうした勝利のたびごとに、自然はわれわれに復讐するのである。なるほど、どの勝利も、最初はわれわれの見込んだとおりの諸結果をもたらしはする。しかし、二次的また三次的には、まったく違った・予想もしなかった効果を生み、これが往々にしてあの最初の諸結果を帳消しにしてしまうことさえあるのである。メソポターミア・ギリシア小アジアその他の地域で、耕地を得るために森林を根こそぎ引き抜いてしまった人びとは、その森林といっしょに水分がたまり貯えられる場所を奪いさることによって、あの国ぐにのこんにちの荒廃の土台を自分たちが築いているのだ、とは夢想もしなかった。アルプス地方のイターリア人たちは、北側の山腹ではあれほどたいせつに保護されているモミの森林を南側の山腹で伐りつくしてしまったとき、それによって自分たちの地域での山岳放牧酪農を根だやしにしてしまったのだ、とは気づかなかった。また、それによって1年の大半をつうじて自分たちの山の泉を涸らし、その結果、雨期にはそれだけ猛威を増したこの激流が平地一帯に流れ込むことになりえようとは、なおさら気づかなかった。こうしてわれわれは、一歩すすむごとにつぎのことを思いしらされるのである。すなわち、自分たちが自然を支配するのは、或る征服者が或るよその民族を支配するとか、だれか自然の外にいるものが自然を支配するとか、といった具合にやるのではなく、−−そうではなくて、自分たちが肉と血と脳髄とを挙げて自然のものであり、自然のただなかにいるのだ、ということ、そして、自然にたいするわれわれの支配とは、他のすべての生き物にまさって、自然の諸法則を認識し、これを正しく適用することができる、ということにつきるのだ、ということである。)


 新メガ版エンゲルス「自然の弁証法」より引用