廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(28)

 エコロジカルな方面がどのように勘案されているかを示すために、エンゲルスの或る文典から一端を引用しておきましょう。
「自然科学も哲学も、人間の活動が思考に及ぼす影響を従前まったく無視してきた。両者はもっぱら、一方での自然と、他方での思想を知るのみである。しかるに、人間の思考の最も本質的で、最も直接的な基礎をなすものは、単なる自然そのものではなくして、人間による自然の変化なのである。そして、人間が自然を変化させる仕方を習得してきたその度合いに応じて、人間の知能はこれに比例して成長してきた。それゆえ、ドレーパー流の自然主義歴史観、すなわち、恰かも自然が専一に人間に作用を及ぼし、自然的な諸条件がいたるところ専一に人間の歴史的発展を制約してきたかのようにみなすのは、一面的である。人間の側でも自然に反作用を及ぼし、自然を変化させ……新しい生存諸条件を作り出しているということをそれは忘れている。
 ゲルマン族が移入した時代のドイツの”自然”のうち、今日そのまま残っているものは無きにひとしい。地面、気候、植生、動物相、それに人間自身もまた限りなく変化してきており、しかもそのすべては人間の活動によるものであって、この間に人間の寄与なしにドイツの自然に生じた変化は微々たるものにすぎない」(『自然弁証法』)。