廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(45)

「価値」という諸商品に「共通なもの」は「商品の幾何学的、物理学的、化学的、その他の、自然的属性ではありうべくもない」。というのも、「商品の物体的諸属性は、商品を使用価値たらしめるかぎりでしか視野に入らない」。ところが、商品の交換関係は、使用価値物としては相違する二商品を価値的に等価だとして同一視するのですから、まさに「使用価値の捨象です」。
「そこで、商品体の使用価値を度外視すれば、商品体に残留するのは、唯一つの属性、労働生産物であるという属性だけである。だが、労働生産物といっても、……それの使用価値を捨象する以上」、あれこれの特定使用価値となって結実するところの「労働のさまざまな具体的形態も消え去り、……労働はことごとく相当な人間労働、抽象的人間労働に還元されている」。「今や労働生産物に残存しているのは、同じ幽霊のような対象性、区別なき人間労働の凝固物しかない。これらの事物はもはや、それの生産に人間労働が支出された……ということしか表わしていない。それらに共通なこの社会的実体の結晶として、これらのものは価値、商品価値なのである」。