「空想より科学へ」(6)

 近代唯物論は従来の一切の歴史を、ただ革命的に、単純に排斥はしないで、歴史において、人類の発展過程を見、この過程のうちに運動法則を発見することを自己の任務とするのであった。近代唯物論は、自然科学の最近の進歩を総括して、自然もまた時間の中にその歴史をもち、天体も条件が許す場合そこに生棲しているであろう生物と同じく、発生し、消滅するもので、一般に、循環運動は許されるかぎり無限にひろがるものである。そしてこの二つの世界において、近代唯物論は本質的に弁証法的であり、他の科学の上に君臨するところの哲学なるものは少しも必要でない。各々の個別科学が、事物及び事物に関する知識の全体のなかで、自らその占める位置を明らかにする要求をかかげてそれが明らかになれば、全体の関連を取り扱うための特殊科学などというものは不用である。従来の哲学全体の中で、なおも残存しつづけるものは、思惟とその法則とに関する学、すなわち形式論理学弁証法のみである。残ったものは、すべて自然と歴史に関する実証科学の範囲である。
 歴史観に決定的変化をもたらした歴史的事実は、1831年にリヨンで起きた最初の労働者蜂起であり、1838年から1842年に頂点に達した最初の全国的労働者運動たるイギリスのチャーチストの運動である。プロレタリアートブルジョアジー階級闘争は、一方で大工業が、他方で新たに獲得されたブルジョアジーの政治的支配が発展するにしたがって、ヨーロッパの先進諸国の歴史の前面にあらわれてきた。