「空想より科学へ」(4)

hanadahidejirou2006-06-02

 ロバート・オーウェンは、唯物論に立つ啓蒙主義者の学説を信奉し、1800年から1829年にわたって、スコットランドニュー・ラナークの大紡績工場で、業務監督として経営にあたり、自由に活動して好成績をあげた。富は労働者階級が作りだしたものといっていいのではないか。そうであるなら、この果実もまた労働者階級のものである。この新しい巨大な生産力は、社会改造の基礎となすべきものであって、それは当然万人の共有財産として、万人の共同福利のためにのみ使用さるべきである、とオーウェンは説いた。
 オーウェンがただの博愛主義者としてふるまっていた間は、かれの得たものは富と称賛と栄誉と名声であった。だが、共産主義的理論をひっさげて出現すると、形勢はたちまち一変した。大きな障碍は、私有財産、宗教、婚姻形式、その三つであった。
 しかし彼は、工場における婦人及び児童労働の制限に関する最初の法律を実現し、またイギリス全国の労働組合(トレード・ユニオン)が一つの単一の大組合連合体となったときの第一回大会の議長だった。一方において協同組合(コオペラチブ・ソサイエティズ、消費組合及び生産組合)をはじめてもいる。


 これら空想家(ユートピアン)の考え方は十九世紀の社会主義思想を久しいあいだ支配し、部分的には今もなお支配している。彼らすべてにとって、社会主義とは絶対的真理、理性と正義の実現であって、それを発見しさえすれば、社会主義はそれ自身の力によって世界を征服するものである。
 こういう社会主義を一つの科学とするためには、まずもって、それを現実の地盤の上に据えねばならない。


(肖像はロバート・オーウェン