「経済学・哲学草稿」(37)

 私有財産の思想を止揚するためには、考えられた共産主義でまったくこと足りる。現実的な私有財産止揚するためには、現実的な共産主義的行動を欠くことができない。歴史はそれをもたらすであろうし、自己自身を使用しつつあるものとしてわれわれがすでき思想のなかで知っているあの運動は、現実のなかではきわめて凹凸のある長くかかる過程をたどるであろう。とはいえ、われわれがあらかじめ歴史的運動の目標についても、その局限性についても[意識をもち、]またそれを凌駕する意識を獲得したということを、われわれは一つの現実的な進歩として認めなければならない。−−
 共産主義的な職工たちが団結するとき、彼らにとってさしあたり目的となるのは、教説、宣伝、等々である。しかし同時に彼らは、それを通じて一つの新しい欲求を、社会的結合の欲求を我がものとする。手段として現われているものがいまや目的となったのである。