「空想より科学へ」(5)

 二 弁証法唯物論

 弁証法は事物とその概念たる模写を、もっぱら、関連、連鎖、運動、発生及び消滅においてとらえる。全世界も、その発展も、また人類の発展も、さらにそれらについて人間の頭脳が描く映像も、その正確な叙述はただ、弁証法的方法よって、その生成と消滅、その進歩と退歩との一般的相互作用についての不断の観察によってできるものであることがわかった。
 この哲学はヘーゲルの体系において完成した。自然と歴史と精神の全世界がここにはじめて一つの過程として説明されるようになった。すなわち、それらは不断の運動、変化、変形、発展のなかにあると説き、そういう運動と発展の内的関連の証明も試みられた。それはあらゆる迷路を通じて人類の発展過程の全身的段階を探求し、あらゆる外見的な偶然性を通じてこの発展過程の内在的合法則性を証明することであった。
 ヘーゲルの体系がみずから提起した問題を解きえなかったということはここでは重要ではない。それよりもこの問題を提起したことが彼の画期的功績であった。そしてこの問題は個人の力で解けるものではなかった。ヘーゲルは観念論者であったから、彼にとっては彼の頭のなかの思想は現実の事物や過程を抽象してできる模写ではなかった。それとは反対に、事物とその発展とは、世界そのもの以前にどこかにあらかじめ存在している「理念(イデー)」が模写として現われているものと考えた。このため、一切のものは逆立ちさせられ、世界の現実の関連は完全に顚倒された。だから、個々の関連をヘーゲルがいかに正しくいかに天才的に把握したとしても、細目については、多くの点がつぎはぎされ、こじつけられ、虚構されざるをえなかった、要するに、さかさまであった。かくしてヘーゲルの体系そのものはついに巨大な流産であった。しかも救うべからざる内的矛盾に悩んでいた。すなわち、それは、一方では人間の歴史は一つの発展過程であるという歴史観を本質的な前提とした、それならば、それは性質上、いわゆる絶対的真理を発見してそれをもってその知的結論とすることはできないはずのものであったのに、他方で、自分の体系こそは絶対的真理の精髄だといったのである。自然と歴史の認識の一切を包括するところの永久に完成した体系などというものは、そもそも弁証法的思惟の基本原則とは両立しない。といっても、外界全体の体系的な認識が世代から世代へと巨大な進歩をとげうることを、この原則は、断じて否定しない、それとは反対に、それを肯定する。