「空想より科学へ」(14)

 大工業の異常な膨張力は、われわれの眼前に、いかなる障碍もものともしない質的および量的膨張欲として現われている。その障碍をなすものといえば、消費であり、販路、すなわち大工業の生産物の市場である。市場の拡大は生産の拡大と歩調が合わない。衝突は不可避となる。しかも、資本主義的生産方法そのものも破壊しないかぎりにおいては、ほかに解決はありえないから、この衝突は周期的になる。資本主義的生産は新たな「悪循環」を作り出す。
 事実、最初の全般的恐慌が勃発した1825年以来、工業と商業の世界全体、すなわち、すべての文明国民とそれに従属する多かれ少なかれ未開の諸国民の生産と交換は、ほぼ十年に一回、大混乱におちいった。
 こういう恐慌においては、社会的生産と資本主義的取得との矛盾が猛烈に爆発する。流通手段たる貨幣が流通の妨害物となる。生産方法の交換方法に対する叛逆だ。
 資本主義社会では、生産手段まえもって資本に、すなわち人間労働力を搾取する手段に、転化していなければ、その機能を果たすことはできないからである。かくして、一方では、資本主義的生産方法は、これ以上これらの生産力を管理するだけの力がないということを認めるしかない。他方では、これらの生産力自体は、ますます強力に、この矛盾の止揚を求める。つまり資本としてのその性質から自ら解放されることを、社会的生産力としての、彼らの性格が事実上においても承認されることを求める。
 生産力はますます強大となるにつれて、資本たるその性質に叛逆し、その社会的性質を承認せよといよいよ要求する。国内における同一産業部門の大生産者たちは合同して一つの「トラスト」をつくる。これは、生産統制を目的とする合同である。彼らは生産すべき総額を決定し、それを各自に割当て、そしてあらかじめ確定した販売価格を推しつける。
 トラストとなれば、自由競争は独占にかわるのであり、資本主義社会の無計画的生産がせまりくる社会主義的生産に降伏するのである。いかなる国民も、トラストで管理される生産、すなわち少数の利札切の一味による余りにも露骨な全体の搾取を許しておかないであろうから。
 いずれにせよ、トラストがあろうとなかろうと、資本主義社会の公の代表である国家は、結局、生産の管理を引受けざるをえないことになる。このような国有化の必要は、まず郵便、電信、鉄道などの大規模な交通通信機関に現われる。