「空想より科学へ」(13)

 資本主義的生産方法は、そもそもの起源に内包しているこの矛盾(社会的生産と資本主義的取得との矛盾=秀註)を、二つの現象形態にあらわしながらすすみ、フーリエの発見したかの「悪循環」を描き、そこからのがれ出ることができない。この循環は、惑星のように、最後には中心と衝突して終末を告げねばならない。大多数の人間をプロレタリアに変えるものは生産の社会的無政府性という推進力であり、しかもまた、結局においてその生産の無政府性を廃止するものもプロレタリア大衆なのである。社会的生産における無政府性という推進力は、機械の改良、人間労働の過剰化、手工業労働者の駆逐、産業予備軍、そして賃金の引き下げをまねく。機械は、マルクスの言葉をかりていえば、労働者階級に対する資本の最も有力な武器であり、それによって労働手段は絶えず労働者の手から生活手段を奪い、労働者自身が生産した生産物は労働者を奴隷とするための道具となるのである。このようにして、ある一人の過度の労働が他人の失業の前提となり、また、消費者を求めて全地球をかけめぐる大工業は、国内大衆の消費を飢餓の最低限にまで制限し、これによって自国の国内市場を破壊するのである。「資本の蓄積があればそれに照応して貧困の蓄積がある。だから、一方の極における富の蓄積があれば、同時に反対の極、すなわち、彼自身の生産物を資本として生産する階級の側には、貧困、労苦、奴隷状態、無知、野獣化、道徳的堕落の蓄積がある」(マルクス資本論」)