2007-01-01から1年間の記事一覧

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(25)

第三節 歴史観をどのように転轍したか マルクス・エンゲルスは、近代的世界観の二半球的な分断パラダイムに対する批判を意識しながら、次のように言います。 「われわれは唯一の学、歴史の学しか知らない。歴史は二つの側面から考察され、自然の歴史と人間の…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(24)

被支配階級は、「地主−小作」制度とか、「資本−賃労働」制度とか、こういう現体制を廃止して自立化しようとする反体制的・体制外的な立場に立つかぎりでは、現体制の維持を(共同利害の保全、秩序維持の名目のもとに)強力的に図る国家権力の志向は、現行支…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(23)

政治的統治機構・機関は、階級的利害その他、社会成員たちの利害的対立抗争から超然としているという建前で、紛争を”調停””抑止”し”共同利害”の保全や秩序の保持にあたります。が、この「共同利害」の保全ということが巧者(くせもの)です。 なるほど、被支…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(22)

総覧するとき、こうして、社会体制というものは、(a)矛盾対立を内蔵しつつも、経済の論理で基底的に統括されている下部構造、(b)その下部構造の矛盾に因由する激越な抗争、利害的対立抗争を”調停””抑圧”し、秩序を維持する政治的・法制的な上層建築、…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(21)

マルクス・エンゲルスは、このことに鑑みて、あの有名な言い方をしております。 「いつの時代にあっても、支配階級の思想が支配的な思想である。すなわち、社会の支配的な物質的な威力であるところの階級が、同時に、その社会の精神的な威力である。……支配的…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(20)

社会的意識諸形態が体制的枠組み内に通常は納まってしまうのは、マルクス・エンゲルスの「意識」観からすれば、蓋然的(プロバブル)です。『ドイツ・イデオロギー』の一文と”公式”の文とを併せて再掲しましょう。 「意識」とは意識された存在以外のなにもの…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(19)

政治的支配秩序というものは、下部構造的経済秩序、生産関係の編制に見合う階級的支配秩序を、保全・補強するという域のものでしかありません。但し、この政治的強力による掣肘がなければ、経済関係の内在的矛盾が階級的対立抗争となって激発し、政治経済社…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(18)

マルクスの謂う経済的下部構造は、先行イギリスの市民社会論の場合とは違って、同市民的な水平的秩序ではなく、「地主−小作」関係とか「資本−賃労働」関係とかいった生産関係、したがって、階級的関係を含みます。 この下部構造次元における階級的関係は、そ…

「日活ロマンポルノめぐりあい同窓会」

ポレポレ東中野でのイベント「日活ロマンポルノ記念前夜祭 めぐりあい☆同窓会☆」に参加、懐かしい顔に出会った。 参加者は、 女優 鹿沼えり 風間舞子 三東ルシア 志水季里子 監督 金子修介 上垣保朗 男優 野上正義 高橋明 久保新二 赤塚真人 にっかつロマン…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(17)

マルクスは社会構造体を建物の比喩を用いることで、土台と上部構造とに分節化して述べております。「土台」に比定されているいわゆる下部構造が物質的生産の経済的諸関係の一総体であり、それのうえに、(イ)法制的・政治的な上層建築、および(ロ)一定の…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(16)

有名な”唯物史観の公式”に見られる社会構造観を引用で掲げておきましょう。 「人びとは、その生(レーベン)の社会的生産において、一定の、必然的な、彼らの意志から独立な、諸関係に入り込む。すなわち、物質的生産諸力の一定の発展段階に照応する生産諸関…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(15)

人間社会は、原始の時代は別として、また、将来実現さるべき社会は別として、「奴隷主−奴隷」「封建領主−農奴」「資本家−賃労働者」というように、階級的に編成されているのが常態であったこと、決して平等な同市民の水平的秩序ではないこと、このことにマル…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(14)

マルクスは、抽象的に、存在観レヴェルで社会観を更新したという域に留ってはおりません。それは、社会構造論の次元においても新しい見地と地歩を確立しております。 マルクスは社会の現象的編制をどう観たのか? 彼も、政治的・法制的・宗教的、等の編制秩…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(13)

マルクスは、初期の『経哲手稿』においていちはやく「なにはともあれ”社会”なるものを個人に対立させて固定化することは避けねばならない。個人が社会的存在なのである」と述べております。(Neue MEGA) 『経済学批判要綱』のなかで「社会とは諸個…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(12)

第二節 社会観をどのように更新したか 古代や中世における”社会”観、その圧倒的主潮は”社会”有機体観でした。そこでは、家族や諸個人といったものは有機体のたかだか分肢的な存在と見做され、社会有機体なるものが固有の実体的存在と観ぜられます。−−近代的…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(11)

マルクスの人間観といえば、『フォイエルバッハに関するテーゼ』中の「人間的本質(ヴェーゼン)は、その現実態においては、社会的諸関係の総体(アンサンブル)である」という言葉が特に有名です。ここに「社会的諸関係」というのは、単なる人間どうしの関…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(10)

ところで、言語というものは、内なる意識を外部的に表現する単なる手段といったものではなく、まずは他者によって意味理解的に意識されることを介してはじめて自分にとっても〔対自的に=意識化されて〕存在するようになる現実的意識〔意識の現実態〕なので…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(9)

ところで、人間は昔から「ロゴスを持つ動物」と呼ばれてきました。このさい、「ロゴス」というのは「理性」と「言語」との、二義性をもちえます。−−「理性(フェルヌンフト)」については、フォイエルバッハが、。「内なる対話能力」と規定しておりますが、…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(8)

マルクス・エンゲルスも、人間がいわゆる精神的文化を発展させている事実を無視したのではなく、それの在り方を説明しようとしたのだということ、このことは銘記しておきたいと念います。 人間生活の存在(ありかた)が人間の、「意識」(虚偽意識や“無意識”…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(7)

マルクス・エンゲルスは、自然と歴史とを、また、本然と文化とを、近代哲学流の仕方で二元的に分断・対立させることを原理的な次元では肯んじませんけれど、人間が生産手段や生産方法を文化的に発明・創始し、且つ、それらを世代的に継続・進展させること、…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(6)

人間の生産的活動・労働は「目的意識的」である。動物からの進化論的連続性はあるにしても、この対自然的な活動的関わりの意識性というところに、人間の生産活動・労働の特質が認められましょう。(『資本論』第1巻第5章) 尤も、意識が先なのか労働が先なの…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(5)

「この生産の様式は、それが諸個人の肉体的存在の再生産であるという側面だけから考察さるべきではない。それはすでに諸個人の活動の一定の方式なのであり、諸個人が自分の生を発現する一定の方式、諸個人の一定の生産様式なのである。諸個人が如何なる仕方…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(4)

「人々は、人間を意識によって、宗教によって、その他お望みのものによって、動物から区別することができる。人間は自分たちの生活手段を生産しはじめるや否や、彼ら自身、自分を動物たちから区別しはじめる。……彼らの身体組織によって条件づけられている一…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(3)

第一章 マルクスの開いた新しい世界観 第一節 人間観をどのように改新したか マルクスは、人間存在を、生産活動を営なむ動物、しかも、本源的に社会に内存在(イン・ザイン)する動物という視角で捉えます。〔秀思うに、これは唯物論的歴史観そのものである…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(2)

緒言 今なぜ読み返しなのか。 正統的・主流派的な解釈、スターリン派のマルクス=レーニン主義体系、それに有形・無形(無意識的)に影響を受けた翻訳、訳者によるバイアス、こういうことからマルクスを解き放つ必要がある。 これは廣松の緒言を読んで秀が思…

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(1)

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(講談社現代新書)を読む。その理由は、頭の整理には最適だと思うから。 今こそ、マルクス・エンゲルス。

廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(0)

今こそマルクスを読み返す (講談社現代新書)作者: 廣松渉出版社/メーカー: 講談社発売日: 1990/06/12メディア: 新書購入: 10人 クリック: 65回この商品を含むブログ (51件) を見る たしかに、マルクスは誤解されてきたのかもしれない。特に代々木に。だから…

「選択本願念仏集」(20)

原文にして81文字。開巻劈頭の「南無阿弥陀仏 往生の業には念仏を先とす」の文を要選択、全16章を広選択、または顕選択と言うのに対し、結文は本文を81字に要略、簡にして要を得たものであるところから略選択、ここにはまた選択の義が三重に説かれてい…

「選択本願念仏集」(19)

それ速やかに生死を離れむと欲(おも)はば、二種の勝法の中に、しばらく聖道門を閣(さしお)いて、浄土門に選入すべし。浄土門に入らむと欲はば、正雑二行の中に、しばらくもろもろの雑行を抛(なげす)てて、選じてまさに正行に帰すべし。正行を脩せむと…

「選択本願念仏集」(18)

(16)釈迦如来、弥陀の名号をもって慇懃(おんごん)に舎利弗(しゃりほつ)等に付属したまふの文 釈尊も弥陀の名号を舎利弗に付属された。