廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(25)

 第三節 歴史観をどのように転轍したか


 マルクス・エンゲルスは、近代的世界観の二半球的な分断パラダイムに対する批判を意識しながら、次のように言います。
「われわれは唯一の学、歴史の学しか知らない。歴史は二つの側面から考察され、自然の歴史と人間の歴史とに区分されうる。がしかし、両側面は<〔人類生誕〕の時代以来>切り離すことはできない。人間が生存するかぎり、自然の歴史と人間の歴史とは相互に制約し合う」(『ド・イデ』)。
 これはごく当たり前のことのように思われるかもしれません。自然界から切り離して人間界が存在しえないことは誰しも承知しているではないか。人類史といっても自然史の一部であることは常識ではないか。そう言われかねません。抽象的、一般的には、なるほどそうでしょう。
 しかしながら、引用文中に謂う「人間が生存するかぎり、自然の歴史と人間の歴史とは相互に制約し合う」ということが、通常の歴史記述においてどこまで配慮されているか一考してみてください。通常は、「自然の歴史」は人間の営なみから独立な、まさに天然自然の物理的物質界の継時的変化史(いわゆる自然史)として扱われ、他面ではまた、政治史とか文化史とかの、「人間の歴史」は「自然の歴史との相互制約」ということを事実上無視するかたちで記述されているのではないでしょうか。
 農業の歴史とか工鉱業の歴史とか、要するに産業に視軸を向けた歴史、つまり、あの「生産」という「人々の対自然かつ相互間の関わり合い」に視軸を向けるとき、自然の歴史と人間の歴史とが切り離せないこと、両つの側面が互いに制約し合っているという事情がアクチュアルに見えてきます