廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(21)

 マルクス・エンゲルスは、このことに鑑みて、あの有名な言い方をしております。
「いつの時代にあっても、支配階級の思想が支配的な思想である。すなわち、社会の支配的な物質的な威力であるところの階級が、同時に、その社会の精神的な威力である。……支配的な思想とは、支配的な物質的諸関係の<イデオロギー>観念的表現、……にほかならないのであって、それゆえ、或る階級をまさしく支配階級たらしめる当の諸関係の〔観念的表現・思想〕、それゆえ、彼らの支配の思想なのである」(『ド・イデ』)。
 マルクス・エンゲルスは、思想の”生産”活動の主たる担い手、精神的”生産”や”流通”の手段を活用できる者、それが支配階級の成員であるという事情をも併せて考慮しております。が、思想的”生産”、精神的”生産”の従事者がどの階級の出身者・成員であるかにかかわりなく、或る社会体制における支配的現実であるそこでの物質的諸関係を追認する流儀で観念的に表現したもの、それがその社会での支配的な思想に蓋然的になる、ということ、これが肝要な論点だと思います。「支配・被支配」の構造を有つ当該社会体制の物質的諸関係を追認〔精神的に”反映”〕する観念形態・思想なのですから、それはまさに「支配階級の思想」になります。


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