廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(24)

 被支配階級は、「地主−小作」制度とか、「資本−賃労働」制度とか、こういう現体制を廃止して自立化しようとする反体制的・体制外的な立場に立つかぎりでは、現体制の維持を(共同利害の保全、秩序維持の名目のもとに)強力的に図る国家権力の志向は、現行支配体制の維持を図る支配階級の階級的利益に奉仕するもの、支配階級の特殊利害に奉仕するものと見做します。”共同利益の保全”が「共同利益」の保全として一応認められうるのは、小作人小作人でありつづけ、労働者が賃労働者でありつづけるというように、被支配階級が体制に内在的であるかぎりでのことにすぎません。
  ここに、国家が体現・保全すると謂う「共同利益」なるものが、自覚的(フュア・ジッヒ)な被支配階級にとっては、支配階級の階級的な利益という「特殊利益」にすぎないという両義性が現出します。
「共同体としての国家」つまり、「国家権力によって統括された社会的一総体」が、”利益共同体”と称され、成員たちによってそう私念されているにしても、それは真の利益共同体ではなく、たかだか「幻想共同体」にすぎない旨をマルクスは指摘します。その所以は、国家機関の機能を実態に即して上述したところから、既に彰らかだと念います