廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(9)

 ところで、人間は昔から「ロゴスを持つ動物」と呼ばれてきました。このさい、「ロゴス」というのは「理性」と「言語」との、二義性をもちえます。−−「理性(フェルヌンフト)」については、フォイエルバッハが、。「内なる対話能力」と規定しておりますが、師のこの規定を踏まえると否とにかかわらず、いずれにせよ言語(ロゴス)をどう位置づけるかが人間観上の一問題になりましょう。−−マルクス・エンゲルスは次のように述べております。
「言語と意識とは同年齢(おないどし)であって、……言語は、実践的な、他の人間にとっても現存するが故に私自身にとってもはじめて現存する現実的な意識である。そして、言語が生成するのは、意識と同様、まずは<交通>他の人間たちとの交通の欲求、必要からである。<私の四囲に関わる私の関係が私の意識である。>ある関係が現存するところ、そこでは、それは対私的(フュア・ミッヒ)に現存する。動物は<対自的には〔他のもの〕と〔関係し〕ない。>何ものとも”関係”せず、そもそも関係しない。動物にとっては他のものと関わる彼の関係は関係としては現存しない。意識は、かくして、そもそものはじめからすでに、一つの歴史的な生産物である」。(『ド・イデ』)


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