廣松渉「今こそマルクスを読み返す」(5)

「この生産の様式は、それが諸個人の肉体的存在の再生産であるという側面だけから考察さるべきではない。それはすでに諸個人の活動の一定の方式なのであり、諸個人が自分の生を発現する一定の方式、諸個人の一定の生産様式なのである。諸個人が如何なる仕方で自分の生を発現するか、それが彼らの存在仕方である。彼らが何であるかということは<それゆえ、彼らの生産様式のうちに示現されるのであり、彼らが何を生産するかということのうちにおけると同様、如何に〔彼らが生産するか〕ということのうちに示現される>、それゆえ彼らの生産と合致する。すなわち、彼らが何を生産するか、また、彼らが如何に生産するか、と合致するのである。それゆえ、諸個人が何であるかということ、それは彼らの生産の物質的諸条件に依属する」。(『ド・イデ』)
  ところで、「生産」というものは「人間の対自然ならびに相互間の一定の関わり合い」(『ド・イデ』)であり、「対自然の関係」と「相互間の関係」とは不可分一体の編制となっている。


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