2008-01-01から1年間の記事一覧

等持院参拝(3)

マキノ雅弘の菩提寺、等持院は、歴史と由緒のあるお寺である。そもそも等持院の開基は足利尊氏で、その尊氏自身の戒名も等持院であり、お墓も方丈裏の庭園の中にある。等持院は臨済宗天龍寺派の寺院になっており、庭園は夢想国師の作である。 方丈の前の枯山…

等持院参拝(2)

牧野省三の墓は等持院のマキノ家墓地に、先祖代々の墓とマキノ雅弘の墓とに挟まれて建っている。 戒名 荘厳院浄空映画雄飛居士 1878年生れ、1929年7月25日没、文字通りの「日本映画の父」であり、映画ファンの大恩人である。 お墓の前に立ってい…

等持院参拝(1)

今年はマキノ雅弘生誕100年で、10月29日は命日である。 マキノ雅弘の菩提寺、等持院にお墓参りに行った。 マキノ雅弘、正博ともいう、は「日本映画の父」牧野省三の息子であり、その父を超え、秀が「映画の神様」と観じている監督である。 等持院墓地…

「浄土三部経」(30)

40 わたくしが覚りを得た後に、他の仏国土に生まれた求道者たちが、わたくしの名を聞いて、いずれかの感官の能力を欠いているようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。 41 わたくしが覚りを得た…

「浄土三部経」(29)

38 わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土にいる生ける者どもが、あたかも第三の心の安定(第三禅)を得て燃えさかる苦悩のなくなった敬われるべき人・修行僧のような安楽さを得ないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚…

「浄土三部経」(28)

36 わたくしが覚りを得た後に、あまねく十方の無量・無数・不可思議・無比・無限量の諸仏国土にいる求道者たちが、求道者の行ないを実行しているのに、神々と人間との世間から敬礼されないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を…

「浄土三部経」(27)

35 わたくしが覚りを得た後に、あまねく無量・無数・不可思議・無比・無限量の諸仏国土にいる女人たちが、生を脱してからふたたび女人の身をうけるようなことがあったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。…

「浄土三部経」(26)

33 もしも、わたくしが覚りを得た後に、無量・無数・不可思議・無比の諸世界にいる生ける者どもすべてが、神々と人間とを超えた幸せをそなえるようにならないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんよう…

琵琶湖を廻る(1)

湖北の琵琶湖は昔の姿を残している。 写真は余呉川河口付近から見た琵琶湖

「浄土三部経」(25)

31 もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土において、如来と求道者(菩薩)とを供養するにふさわしい薫香が、あらゆる宝石からできていて種々の芳香ある百千の香炉に常に焚かれて薫っているようでなかったら、その間はわたくしは、<この上ない正し…

「浄土三部経」(24)

29’ もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土に生まれた生ける者どもが皆、限りなくすぐれた理解表現力とを得ないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。 梵語原典に欠けていて、チベット…

知恩院参拝(5)

知恩院のお茶 知恩院売店(泰平亭)および南門亭の自販機にて、500mlペットボトル入りで求められる。

知恩院参拝(4)

元祖法然上人の御廟が知恩院にある。勢至堂よりさらに奥、石段を上った先である。 月かげの いたらぬ里は なけれども ながむる人の こころにぞすむ 法然上人が詠んだこの歌は、『観無量寿経』の一節「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」のこころを説いて…

知恩院参拝(3)

知恩院の三門は国宝である。元和年間(1620年ごろ)の建立と伝えられ、東大寺南大門よりも大きい。なお、東大寺南大門も元祖法然上人ゆかりの地である。

知恩院参拝(2)

知恩院勢至堂(重文)を拝した。元祖法然上人の住房があったところで、本地堂とも呼ばれ、実際にお堂の入り口の堂名額には「本地堂」と書かれている。室町後期の建立。本尊は勢至菩薩坐像で、これも重文である。法然の幼名は勢至丸であり、勢至堂の堂名と本…

知恩院参拝(1)

念願だった知恩院参拝を果たした。 知恩院、正式には華頂山知恩教院大谷寺と称する浄土宗総本山である。荘厳な三門(国宝)は急勾配の石段の中ほどに位置し、西面して建っている。 本堂・御影堂(国宝)に上がり、「南無阿弥陀仏」を称えると、スピリチュア…

「浄土三部経」(23)

28 もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土における善根を積むこと極めて少ないいかなる求道者であっても、少なくとも高さが千六百ヨージャナある彩りすぐれた菩提樹を認め知るようなことがないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正…

「浄土三部経」(22)

26 もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土に生まれるであろう求道者たちが皆、ナーラーヤナ神が金剛で打つような強固な体や力を得るようにならないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように…

「浄土三部経」(21)

24 もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土に生まれるであろう生ける者どもが皆、<一切を知る智>(=仏の智)をともなった法話を話し得ないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。 25…

「浄土三部経」(20)

22 もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土に生まれるであろう求道者(菩薩)たちが皆、朝食前の(僅かな)時間に他の諸々の仏国土に行って、数百千億・百万の多くの目ざめた人たちに至るまで、楽しみを生ずるために必要なあらゆる種類のものを以て…

「浄土三部経」(19)

20 もしも、わたくしが覚りを得た後に、その仏国土に生まれるであろう菩薩たちが皆、偉大な人物に具わる三十二の特徴を身に具えるようにならないのであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。 21 もし…

「浄土三部経」(18)

弥陀の本願中の本願、「念仏往生の願」。19後半が魏訳「仏説無量寿経」の第18願に相当する。 19 世尊よ、もしも、わたくしが覚りを得た後に、無量・無数の仏国土にいる生ける者どもが、わたくしの名を聞き、その仏国土に生まれたいという心をおこし、…

「浄土三部経」(17)

弥陀の本願、所願、別願。 17は「諸仏称揚の願」で、魏訳「仏説無量寿経」の第17願、18は「臨終現前の願」で魏訳の第19願に相当する。 17 世尊よ、もしも、わたくしが覚りを得た後に、無量の諸仏国土における無量・無数の世尊・目ざめた人たち(=…

「浄土三部経」(16)

14 もしも、わたくしがこの上ない正しい覚りを現に覚った後に、わたくしの仏国土において、生ける者どもの寿命の量が、量り得られるようなものであるようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。 1…

「浄土三部経」(15)

12 もしも、わたくしがこの上ない正しい覚りを現に覚った後に、わたくしの仏国土ににおける教えを聞くのみの修行者の数が知られるようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。 13 もしも、わたくし…

「浄土三部経」(14)

10 もしも、わたくしの仏国土に生まれた生ける者どもが、少なくとも自分の身体(秀註=存在)について少しでも執着する想いを起こすようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。 11 もしも、わたく…

「浄土三部経」(13)

8 もしも、わたくしの仏国土に生まれた生ける者どもが、少なくとも百千億・百万の諸々の仏国土からでも同時に正しい理法を聴くだけの超人的な聴覚(天耳通)を持っていないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがあ…

「浄土三部経」(12)

5 もしも、わたくしの仏国土に生まれた生ける者どもが皆、百千億・百万の仏国土を飛び越えて行く神通自在の最高の完成(神足通)に達しないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。 6 もしも、わ…

「浄土三部経」(11)

3 もしも、わたくしの仏国土に生まれた生ける者どもが、すべて金色一色(註 仏と同じ)でないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚るようなことがありませんように。 4 わたくしの仏国土において、もしも、神々たちと人…

「浄土三部経」(10)

2 もしも、わたくしの仏国土に生まれた生ける者どもの中で、さらにそこから死没して地獄に堕ちる者や、畜生に生まれる者や、餓鬼の境遇に陥る者や、アスラの群れとなる者があるようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ること…