「浄土三部経」(21)

24 もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土に生まれるであろう生ける者どもが皆、<一切を知る智>(=仏の智)をともなった法話を話し得ないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。


25 もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土における求道者たちが、『生活用具や、花や、薫香や、種々の踊りや、歌や、音楽や、宝石の雨を以て、無量・無数の仏国土にまします世尊・目ざめた人たちを恭敬し、供養しよう。』という心をおこしたとして、かれらがその心をおこすと同時に、世尊・目ざめた人たちが、あわれみの心をおこしてこれらを受け入れるようなことがないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。