「浄土三部経」(17)

 弥陀の本願、所願、別願。
 17は「諸仏称揚の願」で、魏訳「仏説無量寿経」の第17願、18は「臨終現前の願」で魏訳の第19願に相当する。
 

17 世尊よ、もしも、わたくしが覚りを得た後に、無量の諸仏国土における無量・無数の世尊・目ざめた人たち(=諸仏)が、わたくしの名を称えたり、ほめ讃えたりせず、賞讃もせず、ほめことばを宣揚したり弘めたりもしないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。


18 世尊よ、もしも、わたくしが覚りを得た後に、他の諸々の世界にいる生ける者どもが、<この上ない正しい覚り>を得たいという心をおこし、わたくしの名を聞いて、きよく澄んだ心(信ずる心)を以てわたくしを念いつづけていたとしよう。ところでもしも、かれらの臨終の時節がやってきたときに、その心が散乱しないように、わたくしが修行僧たちの集いに囲まれて尊敬され、かれらの前に立つということがないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。