「浄土三部経」(20)

22 もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土に生まれるであろう求道者(菩薩)たちが皆、朝食前の(僅かな)時間に他の諸々の仏国土に行って、数百千億・百万の多くの目ざめた人たちに至るまで、楽しみを生ずるために必要なあらゆる種類のものを以て供養することができないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。


23 もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土にいる求道者(菩薩)たちが、あらゆる宝をもってでも、あるいはまたどのような形のものを以てしてでも、(仏を供養して)善根を植えようと願った時に、このような形のものが、かれらがその心をおこすと同時にあらわれて来ないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。