2008-01-01から1年間の記事一覧

比叡山法然堂参拝(4)

法然堂を訪れた11月下旬、比叡山は紅葉の真っ盛りであった。

比叡山法然堂参拝(3)

法然堂の前庭、比叡山の高みから、はるかに琵琶湖を望む。

比叡山法然堂参拝(2)

法然堂は堂守さんによって開かれている。法然上人像にお参りした後、堂守さんと少し話をする機会があった。 堂守の女性は、大阪から通って来ていて、しばらくこのお堂で寝泊りし、また食材やら必要なものを取りに行くのだという。冬の厳しさもまた格別だそう…

比叡山法然堂参拝(1)

比叡山といえば延暦寺。天台宗の本山であるが、その一隅に法然堂というお堂がある。浄土宗元祖法然上人は、13歳の勢至丸時代に比叡山で修行生活に入られたが、久安3年(1147)4月8日15歳の時に、比叡山東搭の功徳院に預けられた。この地で肥後阿…

京都(3)

京都、東福寺。臨済宗大本山で、紅葉で有名である。 通天橋は見物客でいっぱい。

京都(2)

二条城。あまり面白いところではない。

「浄土三部経」(49)

18 かの<幸あるところ>という世界には種々の河が流れている。かの諸々の河はすべてゆったりと流れ、種々のかんばしい香りある水を流し、種々の宝石にゆらめく花束を流し、種々の甘美な音や響きがある。 それらの大河の両岸には、種々の香りある木々が連…

「浄土三部経」(48)

17 かの仏国土には至るところ宝石の山なのだ。全く山の王であるスメール山(須弥山)はなく、大海も存在しない。 アーナンダは言った−−「業の報い、業の形態は不思議であります。」と。 師は言われた−−「かしこでは、過去世に福をなし、善の根を植えた生け…

「浄土三部経」(47)

16 アーナンダよ。かの<幸あるところ>という世界は、種々のかぐわしい香りがあまねく香っており、種々の花や果実が豊かであり、宝石の木々に飾られ、如来によってあらわし出された、妙なる音声をもつ種々の鳥の群れが住んでいる。(このあと、宝石の木々…

余呉湖(3)

余呉湖周辺はかつて戦場であった。

余呉湖(2)

余呉湖は地底で琵琶湖につながっているという。

余呉湖(1)

秋の余呉湖。静かで穏やかで、心落ち着く風景である。 水鳥たちのサンクチュアリとなっている。

「浄土三部経」(46)

15 かの世尊・アミターバ(無量光)の<幸あるところ>と名づける世界は、富裕であり、豊かであり、平安であり、食物が豊饒であり、美麗であって、多くの神々や人間で充満しているのだ。かの世界には、地獄がなく、畜生がなく、餓鬼の境遇がなく、アスラ(…

「浄土三部経」(45)

14 アーナンダよ、かの世尊・アミターバ(無量光)如来の寿命の量は無量なのだ。それで、かの如来はアミターユス(無量寿)と言われるのだ。 また、アーナンダよ、かの世尊・無量寿如来が世に生まれて、<この上ない正しい覚り>を現に覚られてから今日ま…

「浄土三部経」(44)

13 アーナンダよ、かの無量光如来の<教えを聞くのみの修行者>の集いは無量なのだ。 たとえば、神通力の自在に達した修行僧マウドガリヤーヤナは、巧みな努力によって一昼夜のうちに三千大千世界のあらゆる種類の星を数えられたであろうが、このような神…

「浄土三部経」(43)

12 かの如来の光明は無量である。かの世尊・無量光の光明は、ガンジス河の砂の数に等しい百千億・百万の仏国土を照らしている。 こういうわけで、アーナンダよ、かの如来はアミターバ(無量の光ある者)と言われるのだ。『一切の光明の極みに達したもの』…

「浄土三部経」(42)

11 師は言われた−−「アーナンダよ、かの如来は過ぎ去ったのでもないし、未だ来られないのでもない。<無上の正しい覚り>を現に覚ったこの如来・敬わるべき人は、これより西の方向に、百千億・百万番目の仏国土である<幸あるところ>という世界に現に住し…

「浄土三部経」(41)

10 アーナンダよ(と釈尊が言う)、かの修行僧・求道者・立派な人であるダルマーカラは、このような請願をみごとに完成成就した。 かの修行僧ダルマーカラは、かの世尊ローケーシヴァラ・ラージャ如来の前で、神々と悪魔と梵天とを含む世人の前で、しゃも…

「浄土三部経」(40)

11 人々の王よ。もしも、わたくしが覚りを得て、 このような請願が成就するならば、 この大千世界(秀註=全宇宙)を震動させよ、 天人の群れをして虚空の中から花を降らせよかし。 12 〔ダルマーカラのことばに応じて〕、大地は震動し、花は雨と降った…

「浄土三部経」(39)

9 過去の勝てる者たち・自存者(=仏)たちを敬い、 無量億の誓願を実行し、 いともすぐれた叡智を豊かに求めた。 −−誓願の力を円満に成就した精英の人として。 10 あたかも、さまたげなき智見を持てる師、人々の王(=仏)が、 つくられたものを三種に知…

「浄土三部経」(38)

7 月と太陽の光も天空に輝かず、 珠宝の群れも、火の光も、神々の光も(輝くことがない)。 清らかな過去の行ないを実行して、 人間の王者(=無量寿仏)の光はあらゆる光にうち勝つ。 8 最高の人となり、苦しみ悩む者どもの宝となる。 四方八方にこのよう…

「浄土三部経」(37)

5 主よ。広大にして無比・無限なる光明は、 四方八方のあらゆる仏国土を満たし、 貪欲を静め、あらゆる憎悪と迷いとを静めて、 地獄界の火を消した。 6 −−きわめて美しく大いなる眼を開き、 すべての人々の闇を破り、 (教えを聞き得ぬ八種の)難処を残り…

「浄土三部経」(36)

4 もしもわたくしが比べるものなき幸せな覚りを体得しようとしていながらも、 記憶し思慮し理解することを捨ててしまって、 愛欲の快楽を喜ぶようであったら、 わたくしは、十力ある、世間の師とはなりますまい。 わたくし(秀)は世間の師にはなれそうもな…

「浄土三部経」(35)

2 もしもわたくしの国土がそのようでないならば、 多くの貧しい者に、多くの尊い麗しきものが存在しないならば、 苦しみに陥った人を幸せになし得ないならば、 わたくしは、人々の中の宝のごとき王とはならないでしょう。 3 もしもわたくしが覚りの境地に…

「浄土三部経」(34)

9 アーナンダに釈尊が言う。 かの修行僧ダルマーカラは、このような誓願を説きおわって、そのときに、仏の威力によって次の詩句を説いた−−1 わたくしが覚りを得た後に、 もしもこのようにすぐれたこの最上の誓願(秀註=単数形)がかなえられないならば、 …

「浄土三部経」(33)

46 わたくしが覚りを得た後に、(仏国土以外の)他の諸々の仏国土おいてわたくしの名を聞くであろう求道者たちが、名を聞くと同時に、<この上ない正しい覚り>から退かない者になれないようであったならば、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>…

「浄土三部経」(32)

44 わたくしが覚りを得た後に、(仏国土以外の)他の諸々の世界にいる求道者たちが、(わたくしの)名を聞くと同時に、<あまねく至る>と名づけられる心の安定を得ることができなくて、また、彼らのその心の安定が、覚りを究めるに至るまでの間に消えてし…

「浄土三部経」(31)

42 わたくしが覚りを得た後に、〔他の仏国土にいる〕生き者どもがわたくしの名を聞いて、覚りの座を究めるに至るまでの間、高貴の家柄に生まれることができないようであったならば、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませ…

等持院参拝(5)

等持院について、その弐。 川島雄三監督の『雁の寺』(62)はこの等持院で撮影された。作品も素晴らしいが、若尾文子の美しさが眼に焼きついている。 「雁の寺」の原作は水上勉で、この作品で直木賞を受賞している。彼は11歳から親元を離れて相国寺塔頭…

等持院参拝(4)

等持院にはまだあと二つ記すべきことがある。その壱。 1921年から1933年までの12年間、等持院境内に映画撮影所があった。最初は、「日本映画の父」牧野省三が設立した牧野教育映画製作所で、それが東亜キネマ等持院撮影所となっている。牧野省三監…