「浄土三部経」(22)

26 もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土に生まれるであろう求道者たちが皆、ナーラーヤナ神が金剛で打つような強固な体や力を得るようにならないようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。

 なおこの第26願は、ヒンドゥー教の影響を受けのちに立てられたものらしい。漢訳、呉訳には現れて来ないが、魏訳には第26願として存在するという。


27 もしも、わたくしが覚りを得た後に、かの仏国土にいる生ける者どもの誰かが、たとえ超人的な透視力(天眼)によってであったとしても、『この仏国土はこのような美しさである、このような壮麗さである。』と、種々の美しさを〔知ることはできないはずであるのに、〕もしもその美しさを知っているようなことがあるようであったら、その間はわたくしは、<この上ない正しい覚り>を現に覚ることがありませんように。