「浄土三部経」(48)

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 かの仏国土には至るところ宝石の山なのだ。全く山の王であるスメール山(須弥山)はなく、大海も存在しない。

 アーナンダは言った−−「業の報い、業の形態は不思議であります。」と。

 師は言われた−−「かしこでは、過去世に福をなし、善の根を植えた生ける者どもの福徳ある自在な力は不可思議なのだ。」と。