「浄土三部経」(49)

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 かの<幸あるところ>という世界には種々の河が流れている。かの諸々の河はすべてゆったりと流れ、種々のかんばしい香りある水を流し、種々の宝石にゆらめく花束を流し、種々の甘美な音や響きがある。
 それらの大河の両岸には、種々の香りある木々が連なってつづいており、それらの木々から、種々の大枝や葉や花房が垂れ下がっている。
 その諸々の大河は、天のタマーラの木の葉や、アガル(沈香)や、カーラ・アヌサーリン(随時檀香)や、タガラ(甘松香)や、チャンダナ(栴檀香)といった最上の香りに薫る水を満たして流れ、その水面は天の青蓮花や、紅蓮花や、黄蓮花や、白蓮花や、睡蓮などの花に覆われ、如来によって現わし出された鳥どもの群れの訪れる中洲には、白鳥や、鶴や、鴛鴦や、鴨や、鸚鵡や、鶖鷺や、杜鵑や、クナーラ鳥や、カラヴィンカ鳥(迦陵頻伽)や、孔雀などの妙なる鳴き声が聞える。貴金属で美しく彩られ、沐浴に都合のよい階段があり、泥はなく、黄金の砂が振り撒かれている。
 <幸あるところ>という世界には全く、不善の声はない。全く、苦しみの声はないのだ。こういうわけで、アーナンダよ、かの世界は、略して<幸あるところ>と言われるのだ。