「浄土三部経」(43)

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 かの如来の光明は無量である。かの世尊・無量光の光明は、ガンジス河の砂の数に等しい百千億・百万の仏国土を照らしている。
 こういうわけで、アーナンダよ、かの如来はアミターバ(無量の光ある者)と言われるのだ。『一切の光明の極みに達したもの』と言われるのだ。
 如来釈尊)が、一劫を満たすほどの長い間、『……の光明ある者』という名称をつけて、かの無量光如来の名を数え立てることによっても、その光明の功徳をきわめ尽くして知ることはできない。また、如来の確信が断絶したりすることはないであろう。それは何故かというと、かの世尊〔無量光如来〕の光明の功徳力と、如来の無上の智慧と説得力とは、両方ともに無量・無数・不可思議・無限であるからだ。