「資本論初版 第1章」(59)

 〔第2項 商品交換されない労働生産物、生産時間と価値〕 つづき
 〔以上の点を更に例をあげてくわしく考えてみよう。まず〕孤島で生活しているあのロビンソンを取り上げよう。彼が生来どんなに質素な生活をする人だとしても、やはり彼にもいろいろな欲求がある。従って、彼もいろいろな有用労働をしなければならない。道具を作り、家具を作り、ラマを飼育し、魚を取り、狩をし、といった具合である(秀註 ドイデを想起せよ)。(ロビンソンはお祈りを好み、そういうことで気晴らしをするが、ここではそれに触れないことにする。)〔さて、その時〕その生産的な働きはいろいろであっても、彼は、それらの働きがロビンソンという同一人物の活動のいろいろな形式にすぎないことを知っており、従ってそれらが人間労働のさまざまな在り方にすぎないことが分かっている。まさに必要に迫られて、彼は自分の時間をそのいろいろな働きの間に正確に割り振る。彼の全活動の中で一つの活動が大きい部分を占め、他の活動が小さい部分を占めることになるが、それは目的たる有用物を得るのがどのくらい大変かということで決まる。彼はそれを経験から学ぶ。我ロビンソンは、難破した船から時計と帳簿とインクとぺんとを救い出してきているので、善良なイギリス人よろしくただちに帳面に記録し始める。彼の記録した目録を見ると、そこには、彼の持っている使用対象の一覧表と、生産活動に必要ないろいろな用具の一覧表と、それらのさまざまな生産物を一定量だけ作るのに平均して必要な労働時間の一覧表とが載っている。ロビンソンと彼が自分で作った富であるそれらの物との関係は、ここでは、すべて、とても単純かつ透明なので、エム・ヴィルト氏でさえ、頭を特に緊張させなくても理解できるほどである。そして、それにもかかわらず、ここには、価値の持っている本質的な規定がみな含まれているのである。