「自然の弁証法」(13)

 〔98〕序論 つづき
 自然研究も、当時は全般的な革命のまっただなかを動いており、それ自身どこまでも革命的であった。自然研究が自分の独立を宣言し、ルターによる破門状の焼却をくりかえしてみせたとも言える革命的行為は、あの不朽の著作の出版(コペルニクス「天球の回転について」)であった。自然研究の神学からの解放は、このときに始まる。そして、この瞬間から、諸科学の発展も、巨人の歩みをもって行なわれ、出発点からの(時間的)距離の2乗に比例して、と言ってよかろう、力を増していった。まるで、いまからは、有機的物質の最高の所産である人間精神には無機物にたいするのとは逆の運動法則があてはまるのだ、ということを世界に証明しよう、とでもするかのようであった。
 ここに開始された自然科学の第1期における主要な仕事は、すぐ手もとにある材料を使いこなすことであった。古代は、ユークリッド[の幾何学]とプトレマイオスの太陽系とを、アラブ人たちは、十進法と代数学の初歩と近代的な数学と原始的な化学とを遺産として残していた。キリスト教の中世は、全然なにも残さなかった。こうした状態にあっては、最も基礎的な自然科学、すなわち、地上の物体と天体との力学が、必然的に第1の地位を占め、そのかたわらにこれに奉仕するものとして数学的諸方法の発見とその完璧化をめざす努力とがある、ということになった。ここでは、大きな業績が達成された。《ニュートン、リンネ、デカルト、ネービア、ライブニッツ、ケプラー
 この時期をしかしとくに特徴づけているものは、一つの独特な全体観の形成ということであって、その中心となるのが自然の絶対的不変性という見かたなのである。自然におはけるすべての変化・すべての発展は、否定された。当初あれほど革命的であった自然科学は、突如としてどこまでも保守的な自然の前に立ちどまった。この自然のなかでは、すべてがこんにちなおはじめからあったとおりにあり、また、すべてがはじめからあったとおりにありつづける定めになっていたのである。