「経済学批判」(85)

 C 流通手段と貨幣についての諸学説 ラスト
 ヒュームの理論、つまり重金主義にたいする抽象的対立が、こうしてゆきつくところまで発展されたあと、結局また、ステュアートのしたような貨幣の具体的把握が、トマス・トゥックによってその正しい位置にもどされた。トゥックは、彼の諸原理を、なにかある理論からみちびきだしているのではなくて、1793年から1856年までの商品価格の歴史の良心的な分析からみちびきだしているのである。1823年に出版されたかれの物価史の第一版[『最近30年間の物価の高低に関する意見と個々の事実』のこと]では、トゥックは、まだリカアドの理論にとらわれており、事実をこの理論と調和させようとしていたずらに骨をおっている。1825年の恐慌のあとで出版された『通貨について』[正確には『通貨の状態についての考察』]というかれのパンフレットは、のちにオーヴァストーンによって主張された見解を、はじめて理路整然とうちたてたものとさえみることができよう、しかし商品価格の継続的研究は、かれをして、いやおうなくつぎのような点を洞察させることとなった。すなわち、この理論が前提しているような価格と通貨の量とのあいだの直接の連関は、単なる幻想にすぎないということ、通貨の膨張と収縮とは、貴金属の価値が同じままであるばあいには、つねに価格変動の結果であって、けっして原因ではないということ、貨幣流通は一般にただ第二次的な運動にすぎないということ、貨幣は、実際の生産過程では、流通手段の形態規定性とはまったくべつな諸形態規定性をさらにえるということ、がこれである。かれのくわしい研究は、単純な金属流通の領域とは別の領域に属するものである。したがって、ここでは、これと同じ傾向に属するウィルスンやフラートンの研究と同様に、まだたちいって論ずることはできない。これらの著述家たちは、すべて、貨幣を一面的にではなく、そのさまざまな契機において把握しているのではあるが、しかしただ素材的に把握しているだけであって、これら諸契機同志の連関にせよ、またはこれらの諸契機と経済的諸カテゴリーの全体系との連関にせよ、なにかある生きた連関を把握しているわけではない。だからかれらは、流通手段と区別された貨幣を、まちがって資本と混同したり、あるいはまた商品とさえ混同したりするのである。もっともかれらも、他方では、貨幣の、資本、商品との区別を、ときに応じてふたたび主張しなければならなくなるのであるが、たとえば金が外国におくられるばあいには、事実上は資本が外国に送られるのであるが、しかしそれと同じことは、鉄、綿花、穀物、要するにすべての商品が輸出されるばあいにもおこる。両者はいずれも資本であり、したがって資本としては区別されなくて、貨幣および商品として区別される。ゆえに、国際的な交換手段としての金の役割は、資本としてのその形態規定性から生じるのではなくて、貨幣としてのその特殊な機能から生じるのである。同様に、金が、あるいはまた金にかわる銀行券が、国内商業において支払手段として機能するばあいには、それらは、同時に資本でもある。けれども、商品の形態をとった資本は、たとえば恐慌がきわめてあきらかに示しているように、金や銀行券のかわりをすることはできないであろう。だから、金を支払手段にするのは、やはり、貨幣としての金が商品とちがうという点であって、資本としての金の定在ではない。資本が、直接に資本として輸出されるばあい、たとえば、一定の価値額が、利子をとって外国で貸しだされるために輸出されるばあいでさえも、それが商品の形態で輸出されるか、金の形態で輸出されるかは、市場の状態にかかっている、そしてもしそれが金の形態で輸出されるとすれば、これは、商品に対する貨幣としての貴金属の特殊な形態規定性のゆえにおこることである。一般にこれらの著述家たちは、貨幣を、まず最初に抽象的な姿で、すなわち、それが単純な商品流通の内部でどう発展し、また[流通]過程をへつつある商品そのもののあいだの関連からどう生じてくるかという形では考察しない。だからかれらは、貨幣が商品との対立でえる抽象的なもろもろの形態規定性と、資本や revenue《収入》などのようなより具体的な諸関係を内蔵している貨幣のもろもろの規定性とのあいだを、たえずあちこちと動揺するのである。


 カール・マルクス著 武田隆夫・遠藤湘吉・大内力・加藤俊彦訳「経済学批判」(岩波文庫