「自然の弁証法」(19)

 〔98〕序論 つづき
 ヒトの発生も、分化のおかげである。すなわち、個体として分化し、ただ1個の卵細胞から自然が生んだ最も複雑な生物にまで分化していくというだけではない、−−そればかりか、歴史的にも分化するのである。何千年もの長い苦闘のすえに足から手への分化すなわち直立歩行がついに確立されたとき、まさにこのときヒトはサルから分かれ、まさにこのとき音節をもった言語の発展と脳のものすごい発達とのための基礎がおかれたのであって、脳のこの発達のために、以後、ヒトとサルとのあいだの溝が越えられないものになったのである。手の特殊化−−それは道具を意味し、そして道具は、人間の特有の活動、自然にたいする人間の変革的な反作用、つまり生産を意味する。動物たちも生産するが、しかし、周囲の自然にたいするかれらの生産の影響は、自然にくらべれば無に等しい。ただ人間だけが、自然に自分の刻印を押す、ということをなしとげたのである。それは、人間が、植物と動物とを移動させたばかりでなく、自分の居住地の光景と気候とを、それどころか動植物そのものを、自分の活動の諸成果が地球の全般的死滅とともにしか消滅しえないほどいちじるしく変化させた、ということによってである。そして、このことを人間は、なによりもまず、また、おもに、手を使ってなしとげたのである。いままでのところ自然を変革するための人間の最も強力な道具である蒸気機関でさえ、道具であるからには結局は手をよりどころにしている。しかし、手とともに頭脳が一歩一歩着実に発達していった。まず、個々の実践的効果をめぐる諸条件を意識するということが生まれ、そののちに、このような意識から出発して、こうした諸効果を引き起こす自然諸法則というものの洞察が生まれた。そして、自然諸法則の知識が急速に増大していくにつれて、自然にたいして反作用するための諸手段も増加していった。もしヒトの頭脳が、手とあいたずさえかつ並行して、また、部分的には手をつうじて、相関的に発達していったのでなかったとすれば、ただ手だけではとうてい蒸気機関は完成されなかったであろう。