「経済学批判」(80)

 C 流通手段と貨幣についての諸学説 つづき
 リカアドの…第一の命題はこうであった。流通する金属貨幣の量が正常であるのは、それが、貨幣の金属価値で評価された流通諸商品の価格総額によって規定されているときである。これを国際的に表現すると、つぎのようになる。流通が正常な状態にあるときは、どの国も、その富とその産業とに照応した分量の貨幣をもつ。貨幣は、その真の価値、つまりその生産費に照応する価値で流通する、いいかえれば、それは、すべての国で同じ価値をもつ。だから貨幣は、けっして、ある国からほかの国に輸出されたり輸入されたりはしないであろう。そこで、さまざまな国の通貨(流通する貨幣の総量)のあいだには、均衡がたもたれているのである、と。国民的通貨の正しい水準は、いまや諸通貨の国際的均衡として表現されている、だが実際には、国民性は一般的経済法則をすこしもかえないということ以外には、なにごとも語られてはいない。われわれは、いま、ふたたび、まえと同じような致命的な論点に到達しているのだ。正しい水準はどのようにして乱されるのか、あるいはまた、貨幣はどのようにしてすべての国で同じ価値をもたなくなるのか、あるいは最後に、貨幣はどのようにしてそれぞれの国でそれ自身の価値をもつことをやめるのか? と。まえには正しい水準が乱されたのは、商品の価値総額がもとのままであるのに流通する金の分量が増減したからか、または、流通する貨幣の量が同じままであるのに商品の交換価値が増減したからか、によるものであったが、それと同様にこんどは、金属そのものの価値によって規定されている国際的水準が乱されるのは、一国に現存する金の分量が、その国で新たに金属鉱山が発見された結果増加したからか、または、特定の一国で流通する商品の交換価値の総額が増減したからか、によるものである。まえには貴金属の生産は、通貨を収縮または膨張させ、商品価格をそれに応じて下落または騰貴させる必要につれて、減少または増加したのであるが、こんどは、ある国からほかの国への輸出と輸入とが、同じ作用をするのである。[リカアドによれば、]物価が騰貴していて、金の価値が、流通の膨張の結果、その金属価値以下に下落している国では、金は、ほかの国々にくらべて減価しており、そのために商品の価格は、ほかの国々にくらべて騰貴している。だから、金は輸出され、商品は輸入される。逆のばあいには逆のことがおこる。まえには金の生産であったのが、こんどは金の輸出入とそれにともなう商品価格の騰落であり、それが、まえには金属と商品とのあいだの正しい価値関係が回復されるまでつづいたように、こんどは国際的通貨のあいだの均衡が回復されてしまうまでつづくであろう。はじめのばあいには、金の生産のいちいちの変動が、流通する金属の量に、したがって物価に影響したのであるが、それと同様にここでは、金の国際的輸出入が、それに影響するであろう。金と商品とのあいだの相対的価値、または流通手段の正常な量、が回復されてしまえば、消耗した鋳貨の補充のため、および奢侈品産業の消費のため以外には、第一のばあいには、それ以上の生産はおこなわれず、第二のばあいには、それ以上の輸出入はおこなわれないであろう。だから「諸商品にたいする等価物として金を輸出しようとするこころみは、つまり貿易収支の逆流は、流通手段の量が膨張しすぎること以外の原因からはけっして生じえない。」のである。金属の輸入なり輸出なりを生ぜしめるものは、つねにただ、流通手段の分量がその正しい水準以上なり、以下なりに膨張または収縮する結果として生ずる金属の減価または増価だけである。さらにいえばこういうことにもなる、第一のばあいに金の生産が増加または減少され、第二のばあいに金が輸入または輸出されるのは、いずれもただその量が、正しい水準の上または下にあるからにすぎず、金が、その金属価値以上になり、以下になり、増価または減価していて、このために商品があまりに高くまたは低くなっているからにすぎない、それゆえ、この種の運動は、すべて匡正手段としての作用をする、というのは、この種の運動は、流通する貨幣の膨張または収縮をつうじて、物価をふたたびその真の水準に、つまり第一のばあいには金の価値と商品の価値とのあいだの水準に、第二のばあいには諸通貨の国際的水準に復帰させるからである。いいかえれば、貨幣がさまざまな国で流通するのは、ただそれがそれぞれの国で鋳貨として流通するかぎりでのことである。貨幣とは、鋳貨にほかならない、そこで一国に現存する金の量は、流通にはいりこまなければならないことになり、したがってまた自分自身の価値表章として、その価値以上なり以下なりに騰貴ないし下落しうることになるのである。こうしてわれわれは、このような国際的にいりくんだまわり道をして、ふたたび、幸運にも出発点である単純な独断にたっするのである。