「浄土三部経」(60)

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 また、誰であっても、かの如来を多く思念すること無く、またしばしば多くの善根を植えることもしないけれども、かの仏国土に心を向ける者があるならば、かれらの臨終の時分に、色も、形も、高さも、広さの点でも、修行僧たちの群にとりまかれている点に関しても、かの敬わるべき人・正しく目ざめた人・無量光如来に全く同ような化身の仏がかれらの前に立つであろう。かれらはそのときに、如来を見ることによっておこる静かな信に基づく心の安定と、正念を失わないこととによって、死んですぐにまさしくかの仏国土に生まれるであろう。