「浄土三部経」(59)

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 いかなる生ける者どもであろうとも、かの如来のことを、すがた形ある者としていくたびも心に思い、多くの、無量の善根を植え、覚りに心を向けて、かの世界に生まれたいと願うであろうならば、かれらが死ぬ時期が迫って来たときに、かの敬われるべき人・正しく目ざめた人・無量光如来は、多くの修行僧たちの群にとりまかれ、恭敬されて、その前に立たれるであろう。次いで、彼らはかの世尊を見て、静かな澄んだ心になって死んで、かの<幸あるところ>という世界に生まれるのである。