柳宗悦「南無阿弥陀仏」(20)

 17.僧と非僧と捨聖


 法然はどこまでも僧として一生を守った。
 親鸞は自らの名を「愚禿(ぐとく)」と呼び、「非僧非俗」を名のった。
 一遍は住むべき一切の場所を捨てて三界無庵の身として死すまでその長い遍路の旅を続け、「捨聖」と呼ばれた。