「経済学批判」(18)

 「第1章 商品」 つづき
 商品は、商品一般として、特定の使用価値に対象化された一般的労働時間として自己を表示していた。交換過程においては、すべての商品は、商品一般としての排他的な商品に、特定の使用価値における一般的労働時間の定在としての一定の商品に関連する。だから諸商品は、特定の商品として、一般的商品しての特定の一商品に対立して関係するのである。したがって、商品所有者たちが一般的社会的労働としてのかれらの労働に相互に関連しあうということは、かれらが交換価値としてのかれらの商品に関連するということに表示され、交換過程における交換価値としての商品同志のあいだの関連は、諸商品の交換価値の恰好な表現としての特定の一商品にたいするそれらの全面的な関連としてあらわれ、そのためにまたひとつの物の、一定の、いわば自然発生的な社会的性格としてあらわれる。このように、すべての商品の交換価値の恰好な定在を表示する特定の商品、あるいは特定の排他的な一商品としての諸商品の交換価値――それが貨幣である。それは、諸商品が交換過程そのものにおいて形成する、諸商品の交換価値の結晶である。だから諸商品は、すべての形態規定性をぬぎすてて、直接の素材的な姿態でおたがいに関連しあうことによって、交換過程の内部でおたがいにとっての使用価値となるのであるが、他方交換価値としておたがいにあらわれあうためには、新しい形態規定性をとり、貨幣の形成にまですすんでゆかなければならない。商品としての使用価値の定在が象徴でないように、貨幣も象徴ではない。ひとつの社会的生産関係が、諸個人の外部に存在する一対象[貨幣]として表示され、またかれらがその社会生活の生産過程においてとりむすぶ一定の諸関連が、ひとつの物の特殊な属性として表示されるということ、このような顛倒と、想像的ではなくて、散文的でリアルな神秘化とが、交換価値をうみだす労働のすべての社会的形態を性格づけている。貨幣のばあいには、それが、商品のばあいより、もっとはっきりとあらわれているだけである。
 商品世界では、発展した分業が前提されている。あるいはむしろ、発展した分業が、特定の諸商品として対立しあい、しかも同様に多様な労働様式をふくんでいる諸使用価値の多様さという形で、直接に表示されている。あらゆる特定の生産的な仕事の様式の総体としての分業は、使用価値を生産する労働として、その素材の面から観察された社会的労働の全姿態である。しかしこういうものとしての分業は、商品という立場からすれば、また交換過程の内部では、ただその結果のなかにだけ、諸商品そのものを特定のものにすることのうちにだけ、実在している。
 諸商品の交換は、社会的な素材転換、つまり私的個人の特定の生産物の交換が、同時に個々人がこの素材転換のなかでとりむすぶ一定の社会的生産諸関係の創出でもあるような過程である。商品同志の過程的な関連は、一般的等価物のさまざまな諸規定となって結晶し、こうして交換過程は、同時に貨幣の形成過程でもでもある。さまざまの過程のひとつの流れとして表示されるこの過程の全体が、流通である。