「経済学批判」(19)

 「経済学批判」第一章 商品
 A 商品の分析のための史的考察
 商品を分析して二重の形態の労働に帰すること、つまり使用価値を現実の労働または合目的的な生産的活動に帰し、交換価値を労働時間または同質の社会的労働に帰することは、イギリスではウィリアム・ペティ、フランスではボアギュベールにはじまり、イギリスではリカアド、フランスではシスモンディにおわる古典派経済学の一世紀半以上にわたる諸研究の批判的な成果である。
 ペティは、労働の創造的な力が自然によって制約されているということにまどわされることなく、使用価値を分解して労働に帰している。かれは、現実的労働を、ただちにその社会的全姿態において、分業としてとらえた。かれは、ブルジョア的な[社会での]労働が生産しなければならないものは、直接の使用価値ではなくて、商品であり、交換過程におけるその脱却[譲渡]によって、金銀として、つまり貨幣として、つまり対象化された一般的労働として表示される使用価値であると考えた。
 ボアギュベールの方は、個々人の労働時間が特定の商業部門に配分される正しい割合によって「真実価値」(la juste valeur)を規定し、かつ自由競争を、この正しい割合をつくりだす社会的過程として述べることによって、意識的ではないにしても、事実上、商品の交換価値を労働時間に分解している。しかしそれと同時にかれは、ペティとは逆に、貨幣は、その介入によって商品交換の自然的均衡や調和を撹乱し、架空のモーロク[フェニキア人が子供を人身御供として祀った牛身神]のようにすべての自然の富をいけにえとして要求するものだとして、これを熱狂的に攻撃している。貨幣にたいするこの論難は、一面では一定の歴史的事情と連関しており、ペティが黄金欲をもって、一国民を刺激して産業の発展や世界市場の征服におもむかせる力強い衝動として讃美したのにたいし、ボアギュベールは、ルイ一四世の宮廷やその徴税請負人やその貴族などの盲目的破壊的な黄金欲を攻撃したのだとしても、同時にまたここには、純イギリス的な経済学と純フランス的な経済学との不断の対照としてくりかえされるもっと深刻な原理的対立が浮きだしている。
 交換価値をはじめて意識的に、ほとんどだれにもわかるほど明晰に分析して労働時間に帰したのは、ブルジョア的生産諸関係がその担い手とともに輸入され、歴史的伝統の欠如をおぎなってありあまる沃土をもった地盤のうえに、急速に成長した新世界のひとりの人であった。その人こそベンジャミン・フランクリンであって、かれは1719年に書いて1721年に印刷に付した青年時代の論文のなかで、近代的な経済学の根本法則を定式化した。かれは、価値の尺度を貴金属以外に求める必要をはっきりさせた。労働こそそれだ、というのである。しかしかれは、交換価値にふくまれている労働を、抽象的一般的な、そして個人的労働の全面的脱却[譲渡]から生ずる社会的労働として発展させなかったから、必然的に、貨幣がこの脱却した[譲渡された]労働の直接的な実在形態であることに気付かなかった。だからかれにとっては、貨幣と交換価値を生みだす労働とはなんの内的な関連をもたないどころか、むしろ貨幣は、技術的な便宜のために外から交換のなかにもちこまれた用具なのである。