「経済学批判」(11)

 「序説」 三のつづき。
 いわゆる歴史的発展は、一般に、最後の形態が過去の諸形態を自分自身にいたる段階だとみなすということにもとづいている。しかもこの最後の形態は、まれな、かつまったくかぎられた条件のもとでしか自分自身を批判することができないから、いつでも過去の諸形態を一面的に把握するのである。キリスト教は、その自己批判がある程度まで、いわば可能的にできあがったときにはじめて、それ以前の神話の客観的理解を助けることができるようになった。こうしてブルジョア経済学も、ブルジョア社会の自己批判がはじまったときにはじめて、封建的、古代的、東洋的諸社会を理解するようになったのである。ブルジョア経済学が自分を過去のものと純粋に同一だというふうに神話化しないかぎりで、この経済学の、それ以前の《社会》、ことにそれがなお直接にたたかわなければならなかった封建社会にたいする批判は、キリスト教が異教にたいして、または新教が旧教にたいしておこなった批判に似ていたのである。
 一般にどの歴史的、社会的科学にもみられるように、経済学的諸カテゴリーの歩みについてもまた、つねにつぎのことが銘記されなければならない、すなわち、現実でと同じにあたまのなかでも、主体が、ここでは近代ブルジョア社会が、あたえられているということ、だからこれらのカテゴリーは、この一定の社会の、この主体の、定在諸形態を、実在諸規定を、しばしば単にその個々の側面にすぎないものを、表現しているということ、だからこれらのカテゴリーは科学のうえでもまた、それがそれ自体として問題となるところでまずはじまるものだとは、けっしていえないということ、これである。このことが銘記されなければならないのは、それがただちに篇別について決定的な手がかりをあたえるからである。たとえば、地代から、土地所有からはじめることほど自然なことはないように思われる。なぜならば、それは、すべての生産とすべての定在との源泉である土地にむすびついており、また多少とも確立したすべての社会での最初の生産形態−−農業−−にむすびついているからである。だが、これほどまちがったことはあるまい。すべての社会形態には、ある一定の生産があって、それがあらゆるほかの生産に、したがってまたその諸関係が、あらゆるほかの諸関係に順位をしめし、影響をあたえている。この生産はひとつの普遍的な照明であって、ほかのすべての色彩はこのなかにとけこんでおり、またこれによってそれぞれの特殊な色彩が変化をうける。それはひとつの特殊なエーテルであって、そのなかにあらわれるあらゆる定在の比重を定める。