「経済学批判」(9)

 「序説」 二のつづき。
 交換と流通
 流通そのものは、ただ交換のある一定の要因にすぎないか、あるいはまた、総体として考察された交換にすぎない。
 交換が、生産と、生産によって規定された分配ならびに消費とのあいだを媒介する要因にすぎないかぎりでは、しかも消費そのものが生産のひとつの要因としてあらわれるかぎりでは、交換もまた、あきらかに、生産のうちに要因としてふくまれる。
 われわれが到達した結果は、生産、分配、交換、消費が同一だということではなくて、それらが一個の総体の全肢節を、ひとつの統一の内部での区別を、なしているということである。生産は、生産の対立的規定における自分を包摂しているのと同様に、ほかの諸要因をも包摂している。過程はつねに新しく生産からはじまる。交換と消費とが包摂者になることができないことは、おのずからあきらかである。生産物の分配としての分配にも同じことがいえる。しかし生産諸要素の分配としては、分配は、それ自身生産のひとつの要因である。だからある一定の生産は、一定の消費、分配、交換を、これらのさまざまな諸要因同士の一定の関係を、規定する。もちろん生産もまた、その一面的形態においては、それとして、ほかの要因によって規定される。たとえば市場が拡張すると、つまり交換の範囲がひろがると、生産はその規模を増大し、またいっそう深く分化する。分配の変化とともに、生産は変化する。たとえば資本の集積、都市と農村への人口のさまざまな分配、等々につれて。最後に消費の欲望は生産を規定する。さまざまな要因のあいだに交互作用がおこる。こうしたことは、どんな有機的な全体についてもおこることなのである。