「経済学批判」(8)

 「序説」 二のつづき。
 分配
 では分配は、独立の領域として、生産とならんでその外部にあるのだろうか?
 分配の諸関係と諸様式とは、ただ生産諸要素の裏面としてあらわれるにすぎない。賃労働の形態で生産に参加する個人は、労賃の形態で生産の結果である生産物のわけまえにあずかる。分配の仕組は、まったく生産の仕組によって規定されている。分配はそれ自身生産の産物である。ただ、対象の点からみて、生産の結果だけが分配されうるからそうだというばかりでなく、形態の点からみても、生産にたいする一定の参加の仕方が特殊な分配の形態を、つまり分配にあずかる形態を規定するという意味でそうなのである。
 もっとも浅薄な理解では、分配は、生産物の分配としてあらわれ、生産とははるかにかけはなれたもの、生産にたいしてほとんど自立したものとしてあらわれる。けれども分配は、生産物の分配であるまえに、(1)生産用具の分配であり、(2)同じ関係のよりたちいった規定ではあるが、さまざまな種類の生産への社会成員の分配である。生産物の分配は、あきらかに、生産過程そのものの内部にふくまれていて生産の仕組を規定しているこういう分配の結果にすぎない。