「経済学批判」(5)

 「序説」の内容に入る。


 一 生産、消費、分配、交換(流通)
 社会で生産をおこなっている個々人、したがって個々人の社会的に規定されている生産が、いうまでもなく出発点である。スミスやリカアドがそこから説きおこしている個々ばらばらの猟師や漁夫は、18世紀の、空想をまじえない想像のうんだものである。
 われわれが歴史を遠くさかのぼればさかのぼるほど、個人は−−したがって生産する個人もまた、ますます非自立的な、ひとつのいっそう大きい全体に属するものとしてあらわれる。つまり、はじめには、まだまったく自然なあり方で家族に、および種族にまで拡大された家族に属するものとして、のちには、諸種族の対立と融合とから生じるさまざまな形態の共同体に属するものとしてあらわれる。18世紀になり、「ブルジョア社会」においてはじめて、社会的な連関のさまざまな形態は、個人の私的な目的のための単なる手段として、外的必然として、個々人に対立するようになる。けれどもこういう立場、すなわち個別化された個々人の立場をうみだす時代こそ、まさにそれまでのうちでもっとも発達した社会的な(こういう立場からみて一般的な)諸関係の時代である。人間は文字どおりの意味で、社会的動物(秀註=ギリシャ語で記述)である。単に群居的な動物であるばかりでなく、社会のなかでだけ自分を個別化できる動物である。
 生産というばあいには、いつでもある一定の社会的な発展段階での生産−−社会的な故人の生産−−をさすのである。