「経済学批判」(2)

 岩波文庫版「経済学批判」を読み進めるにあたり、まず附録一、ロンドンで発行されたドイツ語週刊紙「ダス・フォルク」の1859年8月6日および20日号にエンゲルスが寄稿した評を読む。


 経済学とは、近代ブルジョア社会の理論的な分析であり、したがって発達したブルジョア的状態を前提とするものである。1830年にいたるまでドイツの物質的・ブルジョア的な発展を束縛していたような、中世のこっけいなほど古くなった遺物にたいするたたかいが、まだおこなわれなければならなかったあいだは、ドイツの経済学なるものはありえなかった。
 ドイツのブルジョアジーと学校教師と官僚とが、イギリス・フランスの経済学の初歩を、おかすべからざる教義として暗記し、いくらかでも理解しようと、なお苦労していたあいだに、ドイツのプロレタリア党が登場してきた。この党の理論的定在は、すべて、経済学の研究からうまれでたものであった、そしてその登場の瞬間から、科学的で自立的なドイツ経済学もまたはじまるのである。このドイツ経済学は、本質上、歴史の唯物論的把握に立脚しており、その大綱は、冒頭にあげた著作「経済学批判」の序言のなかで簡単にのべられている。「物質的生活の生産様式は社会的、政治的および精神的な生活過程一般を制約する」という命題、いいかえれば歴史にあらわれるすべての社会的および国家的諸関係、すべての宗教制度および法律制度、すべての理論的見解は、それに応ずるそれぞれの時代の物質的な生活諸条件が理解され、かつ前者がこれらの物質的諸条件からみちびきだされるばあいにだけ、理解されうる、という命題は、単に経済学にとってばかりでなく、すべての歴史科学にとっても、ひとつの革命的発見であった。
 経済学がとりあつかうのは、物ではなくて、人と人とのあいだの関係であり、結局は階級と階級とのあいだの関係であるということ、しかしこの関係は、つねに物にむすびつけられていて、物としてあらわれるということ、これである。