「浄土三部経」(74)

 かれらは、仏の音声につれてさとる覚り(音響忍)と、真理に随順するという従順さによって得られる覚り(従順忍)と、<諸々の事物には自体というものがなく、生ずることもない>と認知する覚りという、三つの<認めてたしかに知る働き>(忍)を得るのだ。それが得られるのは、かの無量寿如来が過去に立てた誓願の力によって、過去の勝てる者(=仏)に奉仕をつくしたことによって、また過去の誓願と行ないとがよく為しとげられ、よく練磨し、足らないところもなく、損われたところもないことによってである。